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猫柳草庵

猫柳の隠れ里にある、庵です。 よろずのことを語るブログです。 政治やら思想やら宗教の話もするから苦手な人はスルーしてね。

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銭湯の二階みたいな場所が欲しい

ヤフオクで四書五経って引くと、
な、なんかレベルの違うもんが出てくるぞ。
むしろ骨董品のレベルのものが……。それも安い。
和本400冊まとめてってどうすんだよこれ。おいとく場所がないよ。(あったら絶対買ってる。んでもって家を私塾っぽい感じにする)

中国古典みたいなものはおそらく在庫が多そうだから焦らない焦らない。

それはそうと、なんのかんの言って漢詩体系40ページぐらいづつ読んでる。

あと、最近描いてる小説論は、小説レビューする前の前段階みたいなもんだから、真剣に読まなくてもいいです。
でも小説とは何かは、小説とは何かと高校か大学で聞かれたら、Bぐらいは取れる返答なので、読んでて損はない仕上がりかと。(自画自賛)

はっきりいうと、古典漢籍の方が好きです。


で、最近思うのが、銭湯の二階みたいなものが現代社会にはないよねってことです。
サロンより敷居が低く、やってくる社会階層も広い、そんな民主的な空間ね。
なんか、サロンってどうよ。サロン。
ポンパドール婦人かな?

銭湯の二階っていうところは、江戸から最近まであったもので、そこに囲碁とか将棋台とかが置かれ、在野の学者や易者がいて、易学や漢籍、俳句などを教えていたような場所。クリナップのサイトが飾っている絵を見てわかるように、武士から町人までいたのがわかる。(元々、刀を預ける場所だからね)
 江戸時代で終わった話ではなく、こういうのが昭和まであったわけ。
 
 ちょいと政治的な話をするよ
 日本学術会議についてなんだけどね……。またインテリ様の標的が大衆や民衆になるんだなーと思うとうんざりしている。「それでも選挙をしたら政権がかつのだ! 大衆は敵だ!」みたいなねー? そも、選挙なんていうものは雑な多数決で、個々の議題について投票してるわけでもないのに。
 これも、行政と対立しているだけで、行政=大衆ではないのに。
 勝手に民衆を敵対ししてるんだから、民衆は離れていくのに決まっているだろうと。

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小説と近代 一人称視点の暴力

小説がもたらすもの

  何事からも何かを学ぶ、それが私 猫柳なんです。
 だもんで、この小説を読んで、改めて小説の持つ暴力性に気がついたわけです。
 それは、一人称単独視点の小説は容易に人を、誰かの観念世界に引きずり込むことができるという魔術が使えるってことです。簡単にいうと人格のトレースを無理くりさせることができるわけだ。
 だもんで、私がしがないタクシードライバーにもドラゴン退治の勇者にもなれるのが小説。
 それも、場面場面で主人公が感じていたこと、考えていたこともトレースさせることが可能な分、漫画やゲームやアニメにはできないことであると言える。
 まさに、文字だけで構築されたメディアだからこそできる芸当なのだ。

 三人称 もしくは複数視点の小説の場合、統一した人格に誰かを引き込むことはできない。その代わり、複数の視点による複数の考え方を客観的に提供できる。 

 何にしても、思考感情といったおもてに出しにくいことを、相手に伝えることができるというのは、小説の旨味である。

 思考や感情を映画にしようとすると、熟練したカメラマンや照明、卓越した役者が必要となってくる。
 小説なら、印刷機があれば大量に擦れる。
 
 だもんで、近代化の政治的アイテムに小説が使われたのは、むしろ当然というか、むしろ小説が近代を生み出したと言っても過言ではない。
 作者の視点に無理やり読者を引き込めるからね。
 
 逆っていうか、裏みたいなことをいうと、小説が廃れたこと、小説が批評されなくなったことと、大きな物語の終焉の訪れは一致する現象だろう。

 しかし、これが、ものすごく深い知見から得られた思想だとかならいいんだけど、例のごとく、ついていけない死生観、幼い思想、都合の良いファンタジー、そんなものを植え付けられるぐらいならむしろ読まない方が心にいいわけでね。
 しかし、小説の読み方をマスターすると、おそらく騙されにくくなると思うよ。
 問題は、学校の現代文をやってもそれをマスターできないところにあるんだけど。
 大学の文学部行っても身につかない人には身につかないのが問題なんだけど。

 なんだろ、アニメやゲームに若者が行く理由はわかるんだよな。
 小説って、誰かの思考に数時間ぐらい染められるわけで、合わないものは本当に合わないし、苦痛なものは本当に苦痛なんで、読むのにトレーニングが必要なんだよな。
 簡単にいうと、小説読むのは、作家とのスタンド対戦みたいなもんだからねぇ……。
 

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落札してよかった

漢詩体系 詩経-上-1966年-青木-正児
 なかなかの大きさと重さの本が24冊きました。
 大体一冊800円前後、いやぁ、安い安い。
 あと私の場合、出品者さんとの相性がよかった。
 一冊一冊フィルムに入っているし、すごくぴったりと段ボールに入っていた。
 箱がちょっとボロいだけで、中の本は美品。

 元々が装丁の綺麗で丁寧な本なので、満足。
 なにせ、表紙が布張りだよ布張り。
 しかし、1966年当時で三千六百円ってすごい強気のお値段。
 その代わり中も外も素晴らしい。

 で、何が素晴らしいって、解説。
 解説がとにかく充実している。
 なにせ、500ページ近い本で上下巻だ。
 詩経をそこまでの分量で解説してくれている本はない。
 なにせ本文そのものは300篇ちょっとしかないので、元の分量そのもので言えば多くはない。
 なんで、本文の数十倍もの文字数での解説がある。
 その解説も伝統的な解釈の分量が多い。

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中国語 喉ならし

基礎の発音をやらんとまずいなーと思い、「通訳メソッドを応用したシャドウイングで学ぶ 中国語基本動詞93」をやってんですがね、これが辛い辛い辛い。なにがって喉が辛い。家族意外とまともに喋っていない日々を過ごしているんで、43分ずーと喉を使うのが辛ーい。

 シャドウイングっていうのは、聞こえてきた外国語をそっくりそのままコンマ数秒後に鸚鵡返しして喋るっていう学習法なんだけど、これがねー辛い。
 なお、聞こえてきた外国語をそっくりそのまま書き下ろすというディクテーションっつーのもある。

 喉も痛いんだけど、顔の筋肉も痛いし、舌が動かない。
 半年ぐらいサボったツケを払っている感じですわ。

 中国語は発音よければほとんど良いみたいなことを言う人がいるんで、頑張りますわ。

 1日1回これをやり続けたらすっごい実力つくんじゃないですかね。

 飴ちゃん舐めながら頑張るっす。

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突然ローマ興亡史

張騫とかの漢王朝と匈奴とシルクロードと仏教伝来の謎を解きほぐすためにローマの勉強をしていたのだが、これがまーーーーあれだ、現代に起きている問題と大いなるつながりがあることがわかってしまった。

 私見であるが、古代宗教の持つ複雑さとは、ローマ帝国の複雑さなのだろうと。
 で、それは、理論の整っていない多神教の民族が、これまた理論の整っていない多神教の他民族を併合しながら大きくなっていったことに起因するのだろうと。
 多神教が多神教を飲み込み、その領土内で神の数が無数に増えていった。そして、最後のとどめが、形而上学や哲学の多いに進んだギリシャを支配するに至り、ギリシャ哲学がそれらの信仰と混じり合った。それがこれまた、多くの新興宗教が入り混じる混沌とした状況を作り出した。
 ローマ神話、ギリシャ神話の神々、グノーシス主義、ネオプラトニズム、エジプト系のイシス教、フェニキア系のバアル信仰、ペルシャ系のミトラ教、ゾロアスター教、マニ教。そしてヨーロッパに住んでいたケルト人たちの信仰。
 これらが複雑に混じり合う混沌の帝国、それがローマだった。

 その混沌のなかから、フェニキア人の帝国再興を狙うセウォルス朝が起きた。
 腹違いの兄、ゲタを暗殺したカラカラ帝はフェニキア人の血が入っている。
 カラカラ帝から続くシリアのフェニキア人によるローマ帝国のっとり計画は、宗教改革という形で続いた。
 そして、ヘリオガバルス帝の時代に、その宗教改革は形となった。
 天空神ユピテルの神殿にはヘリオガバルスの肖像画が飾られた。貞節を守らねばならないはずのウェヌスの巫女を妻とし、まさに、ローマはフェニキア人の皇帝によって牛耳られた。
 
 そんな思想と宗教の混沌 ローマ帝国はセウォルス朝の末期からゲルマン民族の流入に悩まされ、急速に力を失うこととなる。

 まさに、ローマ帝国は多様性を重視する多神教であったが故に栄えて、その多様性故に滅んだ。

 そして、3世紀、ローマ帝国とパルティアの狭間、アルメニアでキリスト教が公認される。
 そして、ローマもまた、アルメニアが公認した十年後に、キリスト教を公認するのだった。
 そして、そのキリスト教も、公会議のたびに考えの違いが鮮明となり、アルメニアのキリスト教はカルケドン会議を否定する。これが今のアルメニア正教となる。
 
 しかし、ローマ帝国は滅ぶ。
 だが、ローマの後継を巡り、ヨーロッパは長い間揺れていた。
 こう考えると、世界の半分はローマ帝国の影響で今だに混沌としている。
 
 うーん、読んでもわからないことだらけだぞ。
 ローマの宗教。
 神の名前があっちらこっちら変わり、神の格や象徴するものも変わる。
 ミトラ教だって、ミトラがインドの契約の神だというのもいれば、モレクだ、いや、バアルだ、いや、メタトロンのことだという奴もいるし……。
 アルメニアにはアルメニアで、ミトラ教だった時代があるんだよね。

  
 東アジアに住む人間は、やはり孔子に感謝しないければならないような気がしてきた。
 孔子が政治と怪力乱神とを隔てなければ、このような混乱にずっと悩み続けていただろう。
 それと同時に、宗教とは何か、この切実な問題の答えを東アジア人にはわからない。

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