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猫柳草庵

猫柳の隠れ里にある、庵です。 よろずのことを語るブログです。 政治やら思想やら宗教の話もするから苦手な人はスルーしてね。

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おめでとうございます!

 
焚巣館にて、三国史記の全翻訳が完成なされたと一報!
東夷の倭人さん! おめでとうございます!
 

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新自由主義と企業ファシズムと

この二つが気がつかないうちに戦争しているのが今の日本。
 そもそも、自由な民主な党が全く「企業ファシズム党」だったので、この戦争は70年続いていると言うことになる。

 そもそも、自由主義と企業ファシズムでは、理想とされている人物像が百八十度ぐらい違う。
 なんで、どう言う人間を奨励していいかわからないまま教育行政は改革され、子供は子供でどうしたらいいのかわからないまま大人になり、大人は大人でどう生きていったらいいのかわからないまま生きる。
 日本はそう言う国。

 有り体に言えば、自由主義の想定する人物は極めて個人主義的な、個として自立した人物のはずであり、新自由主義においては、その上に、マキャベリズム的な計算高さも必要とされる。
 しかし、企業ファシズムにはそんなもんいらないわけです。
 それこそ、企業戦士こそが理想なわけです。会社を裏切りかねないマキャベリは必要ない訳です。
 むこうが「君の年棒に今の倍出す! どうだね?」と言おうが「会社に忠誠を誓っていますので」とか言う奴こそが、企業戦士。企業戦士イズムを武士道とか言い換えてはぐらかしているのが現代日本。
 

 今回のワクチンで明るみになったのは、ワクチンがコロナに有用かそうでないか、ではなく、医療関係者以外の”職域接種”という、これぞ企業ファシズムというようなことが平然と行われるような国だと言うこと。
 新自由主義と言う名前の言い訳で、使い捨てにされてきた人々は、ワクチンのために炎天下で延々とならばされる国だということ。
 企業ファシズムだなぁ……。

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文体が一致することの怖さ

そもそも、文章を書くと言うことは、当人の観念を形にする作業なわけです。
 特に、小説と言うものは、当人が「小説の空間」を作り出し、「小説の登場人物」を創出し、「小説のエピソード」を創作しているわけで、そこらのエッセイや評論文とは比べ物にならないぐらい、当人の観念が噴出するわけです。
 二次創作でもその行動に変わりはないと私は思う訳です。
 その人が世界をどう捉えているのか、認識しているのか、社会をどう考えているのか、文章を書くとそれがありのままになってしまう訳です。
 とくに、認識が出てくるわけです。
 映画と違って、当人の頭脳の目に見えないものは書けないわけです。
 正確に言えば、それをどう「言うのか」わからないものは「簡単に」書けないわけです。

 一つ一つの文章が、その人が今まで何を見てきて、何を聞いてきて、何を感じてきたのかの結果なんだと。

 だからこそ、文体が同じに感じる、と言うことの、薄気味悪さがあるのです。

 
 文章を書くと言うことは、意識しなくても思想的な行いになるし、政治になる。
 それを突き詰めていくと、自己批判と自己陶酔のミルフィーユ状態になる。
 これをこう書くのはなぜなのか、これをこうとしか書けないのはどうしてなのか。
 こういった自己との戦いの果てに「文体」へのこだわりが出てくる。
 世界と戦い続けた結果 「文章に下手な修飾はいらない」というのなら、それでいいわけです。その逆もしかり。
 
 これはブログなんで、あれですが、最近、noteとかpixivでいろんな人の文章を読んだ結果が「なんか怖い」なんで、困ったもんだ。
 
 簡単に言葉にならないんですが、なんていうのか、うまく型にハマることができない人の叫びとか、どうあがいても自分は「こうする」ことしかできない、と言う、一種の不器用さを感じないわけです。
 イラストや小説がSNSの道具になってしまった、と言うことの怖さかもしれない。

 。。。
 下手すると、これ、今のオタクが同じようなものを吸収して、同じような頭だって言うことなんじゃ……。

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アマプラで見たもの

とうとうアマプラに入ってしまったわけですよ。
 正確に言えば、アマプラにプラスして角川のメンバーシップを登録。
 なぜなら、自分がオタクではないことに気がついてしまったから。
 と、言うのは嘘なんですけど、半分本当かもしれないけど、あれです、数千円で映画を見放題とかいいじゃないですか。2作品ぐらい見たら元取れるし。
 何せ帯状疱疹やってから大きな音や光の点滅にめっぽう弱くなっているので、家でみるしかないわけです。映画を。

 と、いうことで、いろんなものを見たので感想を。

金田一耕助シリーズ
 これが狙いでアマプラ入ってようなもんです。
 映画も大昔のドラマシリーズもほとんど見た。
 やっぱり楽しい。面白い。
 ほとんど見た。

 
書を捨てよ町へ出よ
 サブカルっていまだにこの手法だよ、すごいよ。これ一個見たらサブカルは履修済みでいいよ。今更語ることもないです。
 サブカル必修科目。

心霊ドキュメント「心霊マスターテープ」「心霊マスターテープ2」
  エンタメ〜テレから出ている、ドキュメンタリーチックホラー。80年代にレンタルビデオとして流通していた謎のビデオ。そのビデオについて調べているうちにあれよあれよと訳がわからなくなっていく。
 ドキュメンタリーチックホラーなので、現実っぽい何かです。
 本当にあった呪いのビデオとかが好きならお好きなはず。

ゼイラム
 特撮ヒロインバトルものの金字塔だと思う。
 これに影響を受けてる人はいっぱいいるくせに、これの話をしないのは卑怯だと思う。
 これ、桂正和キャラデザでアニメもあるよ。
 90年大特撮必修科目。

血を吸う粘土
 ある芸術家の怨念が詰まった粘土を使った美術予備校の生徒がひどい目にあうってだけの話。
 ようは、粘土モンスターですよ。
 最後の最後のオチがカタストロフィ。
 アナログな特撮がすごいよ。
 C級ホラーテイストだけど、ツボタケは押さえてくれる感じの作品。

カルト
 あびる優があびる優役で出るって時点で不安感満載。何をいってんだお前って感じだけど、その通りなんだもん。
 監督がどこまで本気なのか、冗談なのかわからなくなり不安になる。
 下手なCG、大根な演技、唐突に出てくるビジュアル系ホスト風の霊能力者、まさかのオチ。
 しかし、すっごく面白い。
 人に勧めるのは気がひけるが、面白い。
 面白いんだけどなぁ……。しかし、人に勧めにくい。
 エログロではないのに……。
 たぶん、これは呪術●戦の元ネタだと思う。2013年の映画だから、こっちのが先。
  z級ホラー。
 監督はホラー映画好きだったらわりと知ってる人だと思う。
 
Cure
 90年代にはやったJホラー系……といって仕舞えばそれまでなんだけど、今まで見たJホラー系のなかでは最高峰でいいと思うし、Jホラー系だけでは収まらない美意識を感じた。
 映像の端の端まで繊細なバランスで撮られている。
 美術作品的なライティングの場面が多数出てくるんだけど、役所広司の顔がそれにうまくハマっている。
 明治大正時代の建物で、それが最高にホラーな雰囲気なんだけど、それだけには収まらない。
 一見ストーリーは難解なんだけど、おそらく、画面的な構成のほうが先にあってある映画だと思うので、あまりストーリーについて考えない方がいい。
 おそらく、心理学や精神医学ではなく、話の真相は「リング」みたいなもんだと思う。
 つまり、精神医学用語が多用されているオカルト映画っていうか。
 そういうの、90年代流行ったよね、といわれればそれまでなんだけど、90年代ホラーでは一番いい映画。
 
 
Cureとカルトは全く方向性が逆なんだけど、同じぐらい面白かった。
人に勧めるならCureなんだけどね。

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pixivの小説部門は違う意味で地獄


 
 全体的にpixivの小説を読みながら感じたのは

 みんな好きなもん書いてるはずなのに、もれなく同じ文体なのはどうして?

 という、イラストが同じようなもんであふれている事以上にやばい現象です。


 同じ文体ばっかりって、そりゃ、読んでるものが同じなんだから、こりゃ異常事態だよ!


 基本的に文章には、こういう文体だから売れるっていうものはあまり無いので、イラストが同じようなもんばっかり、と比べると、その異常性が際立つ。
 結論から言うと、読んでるものが同じだから、同じ文体になるんです。
 同じ文体ってことは、頭にインプットされている語彙がほぼ同レベルで、インプットされている文章構造も同レベルってことだから。
 
 こういう文体だから売れるって言うのが無いっていうのは、娯楽小説も文芸小説も同じで、作家の文章を並べてみたら、割と違うんですよね。
 宮部みゆきと京極夏彦と平山夢明あたりを比べると明確だと思います。
 全然、文体違うから。

 ……つまり、読んでるものが同じって結論ですよ。
 
 で、この頃の文体って、やたら説明口調だって事ですよね、問題は。
 そう、水準が高レベルで同じならまだしも、低レベルで同じなんですよ。
 それも、赤点にはならないけど、満点は決してつけれないっていう。



 で、この頃流行りの文体についてまとめると。

 大体一人称。
 状況説明にキャラクターの心理的説明が入り込む。
 状況説明に比喩的な表現はあまり使わない。
 比喩表現少なめのアクチュアリティ(実際性 現実性)を重視してる風の文体だが、
状況説明にキャラクターの心理的説明が入り込むせいで、アクチュアリティが削がれている。
 心理的説明においても比喩表現はない。
 どちらかと言えば文章は硬いが、漢語的表現は少ない。
 場合によっては、薄い状況説明で、つらつらと心理的説明が続くため、何がどうなっているのかわからなくなる。
 全体的に技巧的な表現は少ない。
 文章のキメは荒いが、無駄に文字数は多い。
 段落ごとの文章数が多い。
 ワンセンテンスごとの文字数も多い。
 全体的に、ストーリーや演出のわりにボリュームあり過ぎ。
 の、割に、文章にこなれ感があるから始末に追えない。

 これが全体的な傾向です。
 ようは、文字で書かれたアニメやゲームの感想文ですね。
 まぁ、つまんないっすね。
 そのジャンルに入れ込んでないと、つまんない。
 一次創作でこれやられるとたまんない。

 基本的にこれ、私が読んでて読んでてつまんねー小説の特徴的文体そのまんま。




 まず、気になることを。
 一段落のボリュームが多い。
 これが、スマホで文章読むとき、災害レベルの何かになっている。
 スマホの画面で表示される横書きの文字数は多くて20文字。
 文字大きめだと十数文字。
 段落に文字を詰め過ぎると、ずらーーと長い文章の雪崩になる。
 縦書きでも、どこを追っかけているのかわからなくなる。
 紙の本を読むときと違って、スマホは、指を置くだけで動くから、それも災難。
 紙の本を読むときは、段落があまりに細切れだと、水増し感ましましで、本が重たくなるんで、それは勘弁してって感じだったけどね。
 なんだ、つまり、デジタル機器で文字を読むときは、段落が長いだけで読みにくさ2倍ましまし。
 特にスマホではそれが顕著。

 ワンセンテンスの文字数が多い。
 これがひと段落ごとのボリューム多過ぎ問題に直結している。

 この、センテンス、段落のボリュームコントロールは、読み手の呼吸のコントロールなんですわな。
 
 例えば

 風が吹いている。
 高原を吹き渡る、冷たい風だ。
 風が吹くたびに、ズボンの裾を、若草がくすぐる。

 と

 風が吹いている。高原を吹き渡る冷たい風だ。風が吹くたびに、ズボンの裾を若草がくすぐる。

 では印象が全然違う。
 上は勿体ぶってる感ががあるが、段落の切り目ごとに、短い一文一文を吟味させる効果がある。
 下になると、とたんに説明してるだけの印象になる。
 下のほうが書き手の苦労は減るんだけどね。

 このテクニックを使うのが上手いのが、夢枕獏。
 彼は、漫画小説としたの表現をしていると語るが、これは立派なテクニック。
 
 これを発展させて、さらに詩的かつレイアウト的に神経質なまでなことをするのが京極夏彦。

 ここ。
 ここだ。
 それだった。
 それに気づく。
 それはもう遅い。
 全ては済んだこと。
 全ては終わったんだ。

 みたいにやってくかんじね。
(これはネット上でやるのが難しい、紙媒体特有の仕方だと思う)


 こう言うことまでやる必要はないけど、ネット上でものを描く上では気になるよね。

 ただ、逆に異常なまでに段落を長くするというテクもある。
 これは頭が良さそうに見える。
 頭が良さげなキャラクターを描くときとかは、わざと長いセリフにすることもある。
 地の文でも同じで、硬い文章で段落が長いと、その視点のキャラクターが客観的な視点を持つ知的なキャラクターに思える。



 

 二次創作が中心だから、そりゃキャラクター説明とかはいらないわけですが、それにしたって、お前どこにいるんだっていうのが多いですね。
 凡庸でもいいから比喩表現が入らないと、細かい情景が浮かばないので、これは難点。
(例えば、キラキラとした川の流れ っていうと、その日が曇りだと思う人は珍しいでしょ? その川がヘドロ川だと思う人も珍しい。 これでなんぼか文字数を減らせる。
 次は、このキラキラとした川の流れをいかにして、斬新にしていくかですが。
 視点のキャラが、客観的なのか、主観的なのか。
 老成しているのか、幼稚なのか、で変わってくる。)

 
 場合によっては、薄い状況説明で、つらつらと心理的説明が続くため、何がどうなっているのかわからなくなる。
 って言うのが難点で、どう言うわけか、心理説明にほとんどが使われているので、ストーリーは進まない、アクションは起こらない、演出がない、なんですよね。
 心理説明の仕方が個性的で面白いならまだしも、ですよ。

 本来、心理説明なんぞなくても、キャラクターの心が曇り空だったら、空を曇らせりゃいいし、泣きたい気持ちだったら、ザアザア雨をふらせりゃいいんですよ。極端な話すりゃ。めっちゃくっちゃ古典的手法だけんども。

 ようは、これ、人が詩を読まなくなったからだな、と言う話ですよ。

 
 
 

 の、割に、文章にこなれ感があるから始末に追えない。
 
 
これが最大の難物。
 
 イラストでもそうなんだけど、ようはデジタルによる恩恵がでかい。
 昔なら、いちいち辞書や辞典を引いていたようなことでも、ネット検索や辞書機能でわかるから、よくわからんけど書けてしまうことが多い。
 思ったことをそのまま音にして打ち込む、って言うのがパソコンでの文章を書くときに注意しないといけないこと。思ったことをそのまま音にできてしまうのが、最大の利点でもあり最大の欠点である。
 ブログを書いたり日記書いたりするような感覚で小説も書けてしまうんだな。
 これは文章を書く上で考えなきゃいけないポイントである。
 これをやると文章のボリュームは増やせるし、一見文章が古慣れて見えるわけです。





イラストや漫画のレベルは上昇傾向だが、文章は明らかに悪くなっている。


これが最近の二次創作界隈に感じることかな。

 
 

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