張騫とかの漢王朝と匈奴とシルクロードと仏教伝来の謎を解きほぐすためにローマの勉強をしていたのだが、これがまーーーーあれだ、現代に起きている問題と大いなるつながりがあることがわかってしまった。
私見であるが、古代宗教の持つ複雑さとは、ローマ帝国の複雑さなのだろうと。
で、それは、理論の整っていない多神教の民族が、これまた理論の整っていない多神教の他民族を併合しながら大きくなっていったことに起因するのだろうと。
多神教が多神教を飲み込み、その領土内で神の数が無数に増えていった。そして、最後のとどめが、形而上学や哲学の多いに進んだギリシャを支配するに至り、ギリシャ哲学がそれらの信仰と混じり合った。それがこれまた、多くの新興宗教が入り混じる混沌とした状況を作り出した。
ローマ神話、ギリシャ神話の神々、グノーシス主義、ネオプラトニズム、エジプト系のイシス教、フェニキア系のバアル信仰、ペルシャ系のミトラ教、ゾロアスター教、マニ教。そしてヨーロッパに住んでいたケルト人たちの信仰。
これらが複雑に混じり合う混沌の帝国、それがローマだった。
その混沌のなかから、フェニキア人の帝国再興を狙うセウォルス朝が起きた。
腹違いの兄、ゲタを暗殺したカラカラ帝はフェニキア人の血が入っている。
カラカラ帝から続くシリアのフェニキア人によるローマ帝国のっとり計画は、宗教改革という形で続いた。
そして、ヘリオガバルス帝の時代に、その宗教改革は形となった。
天空神ユピテルの神殿にはヘリオガバルスの肖像画が飾られた。貞節を守らねばならないはずのウェヌスの巫女を妻とし、まさに、ローマはフェニキア人の皇帝によって牛耳られた。
そんな思想と宗教の混沌 ローマ帝国はセウォルス朝の末期からゲルマン民族の流入に悩まされ、急速に力を失うこととなる。
まさに、ローマ帝国は多様性を重視する多神教であったが故に栄えて、その多様性故に滅んだ。
そして、3世紀、ローマ帝国とパルティアの狭間、アルメニアでキリスト教が公認される。
そして、ローマもまた、アルメニアが公認した十年後に、キリスト教を公認するのだった。
そして、そのキリスト教も、公会議のたびに考えの違いが鮮明となり、アルメニアのキリスト教はカルケドン会議を否定する。これが今のアルメニア正教となる。
しかし、ローマ帝国は滅ぶ。
だが、ローマの後継を巡り、ヨーロッパは長い間揺れていた。
こう考えると、世界の半分はローマ帝国の影響で今だに混沌としている。
うーん、読んでもわからないことだらけだぞ。
ローマの宗教。
神の名前があっちらこっちら変わり、神の格や象徴するものも変わる。
ミトラ教だって、ミトラがインドの契約の神だというのもいれば、モレクだ、いや、バアルだ、いや、メタトロンのことだという奴もいるし……。
アルメニアにはアルメニアで、ミトラ教だった時代があるんだよね。
東アジアに住む人間は、やはり孔子に感謝しないければならないような気がしてきた。
孔子が政治と怪力乱神とを隔てなければ、このような混乱にずっと悩み続けていただろう。
それと同時に、宗教とは何か、この切実な問題の答えを東アジア人にはわからない。