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猫柳草庵

猫柳の隠れ里にある、庵です。 よろずのことを語るブログです。 政治やら思想やら宗教の話もするから苦手な人はスルーしてね。

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きっと私たちには若者の時間がない


 自分と同世代のyoutubeとか色々と見てて、なんかそう思ってしまった。
 なんか、奨学金払うのに大変な人ばっかりで、払い終わって気がついたら30代、あれ? 趣味とかないなあって、みたいな、感じなんだと思う。
 
 で、多分、私たちの世代って、趣味が子供のままか、突然、老成するかだと思う。
 
 冷静に考えたら、自分たち特有の若者文化つーのが、思いつかない。
 
 多分、ポケモンとか遊戯王とかカービーとか、そういうのに飽きた途端に、すんごいジジババ臭い趣味にハマる気がする。
 

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イオンでデートの不思議


素朴な疑問なんだけどさ、若いとは言えない私の世代でも、イオンつーかジャスコって、自分の高校時代に、まず、デートスポットになるよーな場所じゃなかったんだけどさ
今の四十過ぎの人って、なんで、あんなにイオンデートを、羨ましがるん?
エンコーでもしたいの?
謎なんだけど。

イオンおしゃれになったのって、ほんとにここ十年とかじゃない?
つか、ショッピングセンターでデートって発想自体、、、うーん




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文芸作品の表紙

詩や戯曲のほうは別ブログにするのは決めた。
 で、今度は現代文芸や近代文学、映画、漫画の評論も「人文館」みたいなかんじで分けようと思っている。
 このブログは日々、いろんなことを語る息抜きブログってことで。

 久しぶりにスタバでお茶なんてしたいなーっておもってtutaya書店行ったんですがね、まぁ、相変わらず無駄に人が居座って結局お茶なんて飲めなかったのもあるんですが。
 なんだ、最近の流行りの、戦前の文学作品の表紙を漫画やアニメの絵とか、ちょっと前ならアイドルの写真にしてる、あれ、ああいうのに、あれにいまだに慣れない。漫画やアニメが悪いというのではなく、中身とあまり関係がないとか、そもそも別のアニメ作品のファンを誘おうとしているとか、もあるわけですが、なんか、こう、元々の購買層も大事にしてなければ、新しい購買層も大事にしていないような気がするんですよ。
 
 映画には映画の見方があるように、アニメにはアニメの見方があるんですよ。
 漫画には漫画の読み方があるし、文学には文学の読み方があるわけでね。
 その一つ一つって簡単に身につけているわけではないんですよ。

 で、文学って本当に読むのが難しいもので、本当にテキストや文章内容に集中して、時代背景とかを調べないとといけない分野なんですね。偉い偉くないではなく、文学ってそういうものなんです。
 最近、森鴎外の阿部一族読んだんですがね、モゥ、クッソ難しい。
 ただ、その難しさの向こう側に「文学にだけある面白さ」というものがあるわけですよ。
 「文学にだけある面白さ」を伝えられるかどうか、でいえば、伝えられていないから、文学(文芸)って廃れたんですよ。
 なんか、表紙をアイドルにするぐらいなら、もっと書評に拘ればいいのにって思うわけです。実際、学生が文学に触れる機会って一番のものが読書感想文なんだから……。

 文学を読む上で重要なのは、作者が何を元に書いて、作者の生きたその時代に何が起きていて、誰がモデルで、どこに嘘を潜ませているか、です。
 試されているのは読み手の批判精神です。
 教養的にストーリーを読んで感動しているうちは読んでるに入りません。 
 だもんで、文学ってせめて20歳、もっと言えば30歳すぎてぐらいからようやく読めるようなものなんですよ。
 
 特に、左伝とかを教養として当然読んでいる世代の作家はそう読むものです。
 
 これ、映画に例えると、映画ってストーリーや監督の意思を効果的に伝えるために、すっごく構図やライティングや衣装にこだわるわけですよ。で、構図やライティングの意味を知ると、それだけで映画って、一見つまらなそうな地味な映画でも「なんだこれ、面白いじゃん」ってなるんですよ。

 

 

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フィンセン文書

フィンセン文書っつーのがなぜか流出してアメリカの株価が落ちているとかいうわけです。(何だこの文書)
 簡単にいうと、アメリカ政府が把握していた金融機関の疑わしい取引記録が表にでちったってことです。さささっこんなもんだれが流出させたんですかねー。
 
 パナマ文書やパラダイス文書と違うのは、弁護士の持っていた個人の取引記録がばれた! ってんじゃなくて、公的機関の持っていた金融機関の記録ってところ。それゆえに、信憑性も高く、全体の構造の見えやすいわけです。
 明らかに悪意のあるものから、ただ単に緩かっただけのものまで、金融機関の怪しい取引が記録されており、それが明るみに出ちゃったってわけだ。

 わたしゃこれから、こういう文章がこれからバンバン表に出てくると思ってるんですよね。

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学問の順番

四書五経 実学 虚学 この順番が正しいのです。
 四書五経は古今東西の古典作品も入ると思う。
 で、実学、これは社会的に利用できる学問。
 最後は思想や形而上学、宗教、など。

 私がちょっと思っていることは、あまりに”実学”を無視して、虚学を弄っている人が多すぎる! ってことです。

 だから、自由と民主が両立しない! 俺は自由を選ぶ! とか言い出すわけです。
 大体の経営者の自由って、マネロンとタックスヘイブンの自由でしかなく、それはその国の行政がそれを許しているからできるだけです。(簡単にいうと、シンガポールや香港への資産移転によって脱税できるのはシンガポールや香港の利益にかなっているので、シンガポールや香港の行政がそれを制度として行なっているだけです。自由ではなく、あくまでその国や地域の裁量によるものです)
 つまり、実際が抜けているので何をやっても失敗するに決まっているのです。
 
 民主は民主で、国家が作り出した制度でしかない選挙をよりどころにしているから、勝手に大衆に幻滅して「愚民どもめ!」とか言い出すのです。
 はっきり言えば、選挙制度だってその国や地域の裁量によって行われているだけで、やりようによっては世襲議員ばっかりになります。
 どんな制度で議員を選ぶかも、それはその国の行政の問題でしかないです。
 そもそも、選挙制なんてアリバイ作ってるだけです。

 実がなければ、議論はなんにもならんのです。

 だので、虚学だけ弄ってる奴に付き合って、いざ運動を始めると、こんなんじゃなかったとなるわけだ。
 何をやるにも、目の前に立ちはだかるのは、
 行政
 という名前の魔物です。

 行政という名前の魔物を無視して、俺は勇者だと言われても困ります。

 ただ、行政っていうものがなかなか民主的とは言えるわけで、なぜなら、高卒でも大卒でも院卒でも、公務員試験を受けないと公務員にはなれないからです。一部の職員なら外国人でもなれるわけで、これ、一般企業より民主的ですよ。
 
 しかし、インテリエリートだらけの運動であった場合、その失敗は大抵あれなわけです。
 http://s-scrap.com/4000
 ここを見ればわかりますが、その運動の失敗による挫折感は、もろに庶民へ向けられます。
 しかし、庶民を無視して、なにが民主なのかと。
 庶民を味方につける努力なんてあんたら何もしてないじゃんか、と。
 
 インテリエリートってのは、実に国家や行政、社会に疎いか。
 実がないのでそうなる。
 



 で、ここら辺から、私が文学を学び直している理由ですが、
 まぁ、法学やったら、その世界の根底に薄気味悪いドロドロがあることに気がついたんですよ。

 それは言葉の世界であり、観念の世界であった。
 どんな人間も言葉に支配されている。
 しかし、それは難解な法律用語ではない。
 法律には外側があり、法律に意味があるのはその外側の問題だ。

 そうですよ、実学の実は、虚学の虚に支えられているのですよ。

 
 
 
 

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