そもそも、ポリコレ以前に、大の大人が アニメや漫画のアレやこれやにケチつけているっていうのがなんか理解できないというか……。
しかし「大人のくせに」って考えちゃう私が悪いのだろう。
そもそも、資本主義の社会で求められているのは「頭のいい子供」であって、「頭の悪い大人」は最も不要な人間だからだ。
子供の方が金を使うし、子供の方がよく働くのだ。子供の頭の中は夢でいっぱいだ。次々と子供の方がイノベーティブな発想を生み出す。
ファンタジーランド(上): 狂気と幻想のアメリカ500年史。 コレはいい本だった。
同時にコレは、資本主義五百年の結果ともいえる。
特に下巻がいい。
資本主義は資本の力で、農本制から人を自由にした。それは同時に封建制からの自由ともいえる。とにかく自由だ。
とうとう人類は大人にならなくてよくなった。
全ては資本がサービスとして提供してくれる。
教育でさえもだ。
ポリコレ論争に関する違和感はこれだ。否定するにも肯定するにも「頭のいい子供」の議論に感じるのだ。「頭の悪い大人」の議論ではなく。
この「頭のいい子供」の議論は、少なくともアメリカではクリエイティブな影響をあたえた。
ポリコレがなければ「アナと雪の女王」は生まれていない。
「頭のいい子供」の議論は、クリエイティブだ。
思えば、子供の頃から子供っぽいものが嫌いな子供だった。
ディズニーもサンリオもしっくりこない。
できれば「頭のいい大人」になりたかった。
でも「頭の悪い大人」にさえなれなかった。
親も子供も、親の親も子供のままなんだから、そのうち家族会議みたいなものもなくなるんだろうな。親子喧嘩もしなくなる。全ては企業サービスがどうにかしてくれるんだから。
親子三世代でブックオフで立ち読み、みたいな世界観だな。
しかし、それっていいことだろうか?
ずっと子供のままって、そんなにいいだろうか?
子供ってずっと夢を見ていられるじゃないか。
体は爺婆になってるのに、夢がいっぱいって、それって逆に、残酷じゃないか。
少年漫画も少女漫画も、子供のうちだけのものでいいじゃないか。
少年漫画の世界は「強ければどうにでもなる」世界だ。
少女漫画の世界は「可愛ければどうにでもなる」世界だ。
しかし、何か一つの価値観が社会の中でとても大きい意味を持つなんてことはないのだ。
だから子供の読むものでいいし、だからこそ幻想なのだ。
現代社会は、明らかに、現実と幻想のバランスが壊れている。
みんな子供だからだだ。
しかし、老人は医療以外に金を使わない。
それでは儲からない。
ずっと若いままでいたいから化粧品を買う。若い肉体を維持したいからジムに通う。サプリメントを買う。エステに通う。
大人向けに作られた児童玩具が転売されて数万円になる世界に私たちは住んでいる。
しかし、本質的にはどんな夢も叶わない世界に生きている。
そうでなければ、テーマパークのチケットに1万円近い金を誰が払うのか。
そうでなければ、何度も何度もアニメ映画を見に行ったりしないだろう。
「大人」にあってみたいもんだ。