今のところ、漢詩連盟とかそういうのに属してない野良なのですが、野良は野良なりにちょっとだけ。
そもそも、唐代に作られた漢詩のルールに合わせて、唐代の音を基準に平仄を当てていくものが”漢詩”だ。つまり、とうの中国の文化人でさえ、辞書なしに漢詩を書くのは困難だったと思われる。
ましてや日本人が書くとなれば……である。
よって、漢詩を書くための虎の巻「
詩語表」というものが世間には無数に存在する。
で、その手の虎の巻は、大抵、季節やテーマにそって、言葉が集められており、そこから平仄にあうように拾ってくるのである。
漢詩作法入門講座 この辺りを参考に、漢詩を創作していただければわかると思うが、漢詩作成とは、多くの写真を切り取り、一枚の絵を完成させていくのに似ている。
つまり、漢詩創作とは一種の「文字のコラージュ」なのである。
なーんだ、コラージュか、とは思ってはいけない。
コラージュのくせに、やたらと、書き手の人格が表現されてしまうのである。
そもそも、虎の巻を使わなくとも、過去の作例から取ってきたと思われる表現を使うものである。むしろ、突然オリジナルの熟語を書くほうが、よほど悪いので、大抵の言葉には使われた前例があり、それを踏襲した上で新しい作品を生み出すべきなのである。
まず、その前提があり、その前提がある上で前衛があるべきなのだ。
いや、そもそも、完全のオリジナルの文学なんて、誰も読めないのだから、多くの文学作品は「過去のコラージュ」だともいえる。
しかし、漢詩の独自性は扱うテーマのせいなのか、なんなのか、やたらと人柄が出てしまう。
そして、実は、漢詩は、作るのが楽しい。
俳句や和歌よりよほど楽しい。
筆者はぷよぷよが好きなのだが、それに「なぞぷよモード」というものがある。
その なぞぷよに似ている楽しさがある。
つまり、詰将棋とかそういう楽しさがある。
簡単にいうと、感じそれぞれに白と黒があり、その白黒をルールに合わせて配置していくのが漢詩の作成方法なのだ。
まぁ、まずは
「詩語完備 だれにもできる漢詩の作り方」
を手に入れていただくとしてですね
漢詩の良さとはなにか、といわれれば、詩を描く恥ずかしさが少なめというのもあります
ね、ポエムなんですよ、詩なんですよ、でも恋愛の詩を書かなくてもいいし、そっくりそのまま自分の気持ちを書かなくていい、最初はパズルです。パズル。
まぁ、最大の問題は、この漢詩創作の文化が廃れていることなんですが……。