アカデミックな絵とはなにか、アカデミックな絵の世界ではなぜデッサンが重要なのか。
どうもこれ、理論的な話で、
形か色か、という二項対立をして、形の方が大事だから、っていうことらしい。
もっと簡単にいうと、色をドベっと塗ったら、そこにすでに形が生まれる。形のない色はないが、色のない形はある、ということらしい。
つまり、色<形っていうことだ。
と、いうことで、印象派は脱アカデミズムをしたいから、色にこだわるんだね。
不思議だなぁ、と思うのは、ここのところ、
形を絶対に正しく記録できるはずの写真が色にこだわり
それをしなくていいはずのイラストレーションや漫画がいようにデッサンに拘っている、気がすること
そもそも、漫画描きほど、デッサンにこだわるが、漫画にデッサンは必要なのか? というのは重要な問題だと思う。
そもそも、漫画のデッサンってなんだろう。
当然、学術的な意味でのデッサンではなさそうだ。
では、一番矛盾なく形を取れる技法は何か。
それは3DCGではないか?
しかし、コレが厄介だ。
確かに、形はそうなのだが、これが、一切「それらしく見えない」のだ。
ライトを適切に当てていない、何一つテクスチャー を指定していない。
その状態のオブジェクトは、なんていうか、この世のものに見えない。
数学的には正しいはずだ。
人間の目はちゃんと形を追えていないのがわかる。
錯覚だらけだ。
3DCGをあれこれいじった結果、思ったことは、人間の目の不確かさであり、人間が見たいと思っているものの情感性だ。
人間なんてモデリング してみると違和感の塊。
あー、もういや。
描いた方が早い。
人間に見えない。
感情が入ってないからだ。
人間は 情感を見たいのであって、正しい形をみたいわけではない。
で、話は変わるが、日本で最も3DCGをうまく使っている漫画は『喧嘩商売』『喧嘩稼業』だと思う。
『喧嘩商売』『喧嘩稼業』おもしろいねってだけの話でした。
何にそんなにハマったのかそのうちダラダラかくよぅ。