そもそも、普遍主義と相対主義は両立するものではない。
なんだか、相対主義を普遍主義を否定するものではないいう人がいるが、相対主義を正しいと思いながら普遍主義をやるのも、その逆も、欺瞞的な状況でしかない。
神や天がいないということを理解しながら、まるでこの世に普遍的な永続的な価値観があると思い続けるのは無理がある。
神や天がいるという確固たる確信があるのに、あらゆる価値観が相対的に扱われるべきだというのにも無理がある。
相対主義と普遍主義のバランスが取れるという態度には、物事は突き詰めると、天や神の存在や不存在を問いかけることになるという覚悟が足りない。そういう覚悟なしに物事やるのは頭はいいだろうが、本質的な学びにはならない。
別にそれは神や天じゃなくてもいい。
ものの性質とか法則だとか、形而上的存在だとかだ。
神のようなものと言ってもいい。
これは一神教の神でもいいし、儒教や道教における天でもいいし、神道なら造化三神と言われるようなものだろう。
しっかし、まだまだ世界は普遍的なものを成立させるには広すぎるし。
一度、世界を閉じてみたらいいと思う時がある。
それに、法律という価値観が強く人を支配しすぎている。
と、いうのは、徹底的に”普遍主義”を問いながら”相対主義”を振りかざしている分野が、国際法の世界だからだ。
戦争が悪ならば、全ての戦争当事国は戦争裁判にかけられるべきである。
国際条約が絶対的に正しいのならば、それに”入らない”国を徹底的に糾弾すべきだ。
しかし、とうの国際裁判所ってところは、領土に関して”歴史主義”と”実効支配主義”を都合よく使い分けているのが実のところである。そう、いい加減なのだ。
おそらく、アジアの領土問題は、西洋人がついこの間作っただけの国際法では解決できない。
この世で最も法律を信用してないのは法学者であり、法学者ほど天の存在を考えてない人々もいない。経済学者の方がまだ敬虔だ。
天がないなら、全ての法律は人間が適当に書いた文章の塊でしかない。なぜそんなものが未来に向かって効力があるのと言えるのか。
片山さつきあたりが天賦人権論をくさしていたが、これに大して徹底して「天が存在するからこの世に人権があるのだ」という法律関係者がいただろうか? なんか、みーんな歯切れが悪かったよね。そりゃそうだよね、片山さつきって東大だよね? じゃあアシベ憲法とか絶対読んでるし、それどころかそれぐらいの大先生に教わってるんだよね? って話だよね。
どうせみんな「そんなオカルトめいたものはない」と思ってんだよな。
えーと、法律の世界の根幹がないのなら、そのない世界で、いかに法律が機能しているのか、疑問に思わないのか。全てが人間の作ったものならば、それが未来に大して責任を取れるような性質のものだとどうして思えるのか。ましてや、それで生きたり死んだりしている。行政文章の一枚二枚で運命が決まる。
みんなフィクションだったら、そのフィクションからみんなが覚めた時が年貢の収めどきじゃないか。
言って仕舞えば、みんな「頭が良い」んだよな。
意識的に嘘をつけるというか。
で、じゃあ、どうしてみんな法律守ってんの? って話だよね。
結局、あれだ、警察が怖いからみんな法律守ってんだって話だったら、この国で一番偉いの警察じゃん。しかも機動隊とかじゃん。
これで、わたしは逆に「やっぱり法律なんぞに天意は宿らぬ」と確信したがね。
そう、近代国家は警察組織でもってんのよ。
近代国家産みの親フランスで警察組織も誕生したのが象徴的だよね。
世界最強の覇権国家が、警察の暴力で大変なのもうなづける話だ。