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猫柳草庵

猫柳の隠れ里にある、庵です。 よろずのことを語るブログです。 政治やら思想やら宗教の話もするから苦手な人はスルーしてね。

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歴史と文学と コメント返信 

倭人さんから素晴らしいコメントが来たので、記事に返信を書きます。

 この頃の文学トレンド(折口、白川静から、古代文学の呪術性のサブカル消費)がまとまった返信をいただきまして、記事に書くことが無いぐらいなんですが、

 古代史と文学、それぞれにロマンがあるんですが、それを一緒くたにするのはなんか違うなーという疑問。その二つが持つ過度な政治性への批判。

 > そういえば、梅原氏はアイヌを古縄文人だと唱えたことが批判されてますし、実際ネトウヨって昔はアイヌをそういう方向で持ち上げてたんですが、氏の縄文人論って反植民地主義的な民族主義を主張する新左翼がアイヌの古い信仰や文化を顕彰したことの鏡合わせなんですよね。大日本帝国の帝国主義で犠牲になったアイヌや琉球には、もともとそれより優れた(可能性のある)前近代文化が存在した、と。そのヤマト版。画家の岡本太郎氏なんかもこういう系譜。日本は特に非西洋の帝国主義国家だったので、このあたりが結構フクザツで、極右と極左の合流地点みたいになったりする。縄文人と弥生人にさかのぼっての平和的な縄文人と好戦的な弥生人との二項対立による中国人や韓国人への差別もずいぶん見てきましたが、これって新左翼の用いた騎馬民族征服説なんかと認識が軌を一にしてたり。現存する社会問題と流行する学説は連動しているし、こうした流行の起こり方は大学の大衆化やマスメディアの発達に伴って起こった変化でもあるでしょう。

特にここら辺が素晴らしい。
ほとんど言いたいことを言われてしまったかんじである。

そもそも、シュリーマン以降、古代史への社会の目が変わり、古代研究、考古学の価値が固まってから、文学もそれに飲み込まれるように、古代文学への関心が高まった。西洋でも、詩経の考古学の知見を取り入れたオカルト解釈と同じように、考古学を取り入れたギリシャ文学や聖書の読み直しが起きた。
それが結果として過度な政治性を持ち、日本と同じようなことが起きている。
例えば、卍模様とか、あれもシュリーマンがミケーネ文明の遺跡から見つけてしまい、古代アーリア人種に対する優位主義が持ち上がってしまった。このマークの文化圏は思ったより広く、古代ブルガリア・ルーマニアから始まり、インド、イラン、そしてヨーロッパへと広まっている。
この古代史研究の成果が、政治に利用されアーリア人種第一主義へとつながる。

この場合は、ブルガリアで誕生し、世界に広まり、世界のほとんどの文明に影響を与えた! という民族優位主義へと繋がった。
これは、日本における古代縄文人への憧れにも近いものを感じる。
この場合は、弥生人は野蛮! 縄文人は平和的! という優位主義である。

これって、どちらも「古代人」を「現代人」の直接的な先祖にして、間にある複雑なものを全てを取り払っているのに違いはない。
つまり、物事の過度な単純化がおきている。
 
何人にしても、どんな民族にしても、数千年、数百年の間、他の民族や集団と共にいき、共に文化の交流をし、変わりながら生きてきた。突然、古代の生活がそこにある、なんていう場所はすごく少ない。
民俗学や人類学は、今生きている人の生活、にもねざさないと歪んでいく。
つまり、複雑さを失った時、大体がヤバイことになる。

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