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猫柳草庵

猫柳の隠れ里にある、庵です。 よろずのことを語るブログです。 政治やら思想やら宗教の話もするから苦手な人はスルーしてね。

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解釈の時代性

 前の記事でも書かれておりましたが、おっしゃる通り詩経の解釈について、古儒学では歴史と伝統の復古や記録継承を目的としており、内容も政治家たる士大夫の教養ですから、政治的な場で意見の表明に引用する詩の解釈として一貫していますし、それに比べると朱子学が詩を感性に由来して解釈しようとするのは、学問的な発展と高度化、あるいは仏教をはじめとした異教への対抗により、儒教が独自の宇宙論や生命論を深化する際、人間の生まれ持っての性を理として、その表出を善として尊んだことに繋がってますし、こうした歴史的背景や思想の内容と解釈は連動してますから、呪術的解釈もそれと同じですね。呪術や習俗に由来する解釈は、儒教的な過去の伝統的解釈やドグマから解放されている、イデオロギーを離れて外在的な要因から推し量れるから客観性が担保できる、とかそういう雰囲気。
 思うに、そういった"新しい"解釈なども「なぜこう解釈したのか」という時代的な要因や目的、背景などを俯瞰的に考える必要を感じます。古代人や中世人より迷信やドグマに囚われていない自分たちが正しい解釈をしているという盲信に近現代人は陥りがち。

 詩経の呪術的解釈というと、白川静氏の解釈しか知らんのですが、「それ、ただの想像じゃない?」って思っちゃうところがどうしてもあるんですよね、読んでると。
 氏の研究する字義の解釈なんかでも、甲骨文などにさかのぼって形を見比べ、現在の文字では同じ記号で書かれるものから、もともと別の形をしていたものなどを探り当て、従来と違った解釈を施したりするのを見ると、なるほど、現在の字から導かれる解釈では不足なのかと納得できるのですけど、じゃあそれを受けて施した別の解釈はというと、なんだか本当にそれが正しいのかイマイチ納得できないケースは多い。
 新儒学が古儒学に対してそうであったように、従来の固定観念を打破して新たな視点や手法の提供したとしても、それによって導き出した結論がすべて実証的に正しいとか、そういう話にはならないんですよね。むしろパイオニアは粗削りな分、怪しい部分が多いとも考えられる。

 第二次世界大戦後、当時から現在まで帝国主義の反省やらニューエイジ思想やら近代理性主義そのものが疑われてシャーマニズムについて保護あるいは再評価がなされ、家父長制から近代にいたるまで男性中心主義が理性主義に基づいて強化されたとの批判から古代呪術の顕彰がフェミニズムでも盛り上がったり。
 更にはそういった題材は創作にもしやすいからサブカルチャーを中心に一気に広まって、そのへんって戦後サブカルチャーに大きな影響を与えてますもんね。たとえば、白川静氏の影響はドラマだと『三年B組金八先生』から漫画の『孔子暗黒伝』とか。ハイカルチャーの純文学だと村上春樹氏も白川静氏の影響を受けてたり。スポーツ選手のダルビッシュ有氏が白川静氏を引用したり、とにかく広い範囲に影響が大きい。隣接別分野でこの類型でさらに有名なのは梅原猛氏とか折口信夫氏とか。梅原氏は水木しげるの漫画に登場してますし、折口氏は宮崎駿氏のもののけ姫に影響を与えてたり。
 そういえば、梅原氏はアイヌを古縄文人だと唱えたことが批判されてますし、実際ネトウヨって昔はアイヌをそういう方向で持ち上げてたんですが、氏の縄文人論って反植民地主義的な民族主義を主張する新左翼がアイヌの古い信仰や文化を顕彰したことの鏡合わせなんですよね。大日本帝国の帝国主義で犠牲になったアイヌや琉球には、もともとそれより優れた(可能性のある)前近代文化が存在した、と。そのヤマト版。画家の岡本太郎氏なんかもこういう系譜。日本は特に非西洋の帝国主義国家だったので、このあたりが結構フクザツで、極右と極左の合流地点みたいになったりする。縄文人と弥生人にさかのぼっての平和的な縄文人と好戦的な弥生人との二項対立による中国人や韓国人への差別もずいぶん見てきましたが、これって新左翼の用いた騎馬民族征服説なんかと認識が軌を一にしてたり。現存する社会問題と流行する学説は連動しているし、こうした流行の起こり方は大学の大衆化やマスメディアの発達に伴って起こった変化でもあるでしょう。

 ……なんかわかりきった話をしてスミマセン。

Re:解釈の時代性

> 前の記事でも書かれておりましたが、おっしゃる通り詩経の解釈について、古儒学では歴史と伝統の復古や記録継承を目的としており、内容も政治家たる士大夫の教養ですから、政治的な場で意見の表明に引用する詩の解釈として一貫していますし、それに比べると朱子学が詩を感性に由来して解釈しようとするのは、学問的な発展と高度化、あるいは仏教をはじめとした異教への対抗により、儒教が独自の宇宙論や生命論を深化する際、人間の生まれ持っての性を理として、その表出を善として尊んだことに繋がってますし、こうした歴史的背景や思想の内容と解釈は連動してますから、呪術的解釈もそれと同じですね。呪術や習俗に由来する解釈は、儒教的な過去の伝統的解釈やドグマから解放されている、イデオロギーを離れて外在的な要因から推し量れるから客観性が担保できる、とかそういう雰囲気。
> 思うに、そういった"新しい"解釈なども「なぜこう解釈したのか」という時代的な要因や目的、背景などを俯瞰的に考える必要を感じます。古代人や中世人より迷信やドグマに囚われていない自分たちが正しい解釈をしているという盲信に近現代人は陥りがち。
>
> 詩経の呪術的解釈というと、白川静氏の解釈しか知らんのですが、「それ、ただの想像じゃない?」って思っちゃうところがどうしてもあるんですよね、読んでると。
> 氏の研究する字義の解釈なんかでも、甲骨文などにさかのぼって形を見比べ、現在の文字では同じ記号で書かれるものから、もともと別の形をしていたものなどを探り当て、従来と違った解釈を施したりするのを見ると、なるほど、現在の字から導かれる解釈では不足なのかと納得できるのですけど、じゃあそれを受けて施した別の解釈はというと、なんだか本当にそれが正しいのかイマイチ納得できないケースは多い。
> 新儒学が古儒学に対してそうであったように、従来の固定観念を打破して新たな視点や手法の提供したとしても、それによって導き出した結論がすべて実証的に正しいとか、そういう話にはならないんですよね。むしろパイオニアは粗削りな分、怪しい部分が多いとも考えられる。
>
> 第二次世界大戦後、当時から現在まで帝国主義の反省やらニューエイジ思想やら近代理性主義そのものが疑われてシャーマニズムについて保護あるいは再評価がなされ、家父長制から近代にいたるまで男性中心主義が理性主義に基づいて強化されたとの批判から古代呪術の顕彰がフェミニズムでも盛り上がったり。
> 更にはそういった題材は創作にもしやすいからサブカルチャーを中心に一気に広まって、そのへんって戦後サブカルチャーに大きな影響を与えてますもんね。たとえば、白川静氏の影響はドラマだと『三年B組金八先生』から漫画の『孔子暗黒伝』とか。ハイカルチャーの純文学だと村上春樹氏も白川静氏の影響を受けてたり。スポーツ選手のダルビッシュ有氏が白川静氏を引用したり、とにかく広い範囲に影響が大きい。隣接別分野でこの類型でさらに有名なのは梅原猛氏とか折口信夫氏とか。梅原氏は水木しげるの漫画に登場してますし、折口氏は宮崎駿氏のもののけ姫に影響を与えてたり。
> そういえば、梅原氏はアイヌを古縄文人だと唱えたことが批判されてますし、実際ネトウヨって昔はアイヌをそういう方向で持ち上げてたんですが、氏の縄文人論って反植民地主義的な民族主義を主張する新左翼がアイヌの古い信仰や文化を顕彰したことの鏡合わせなんですよね。大日本帝国の帝国主義で犠牲になったアイヌや琉球には、もともとそれより優れた(可能性のある)前近代文化が存在した、と。そのヤマト版。画家の岡本太郎氏なんかもこういう系譜。日本は特に非西洋の帝国主義国家だったので、このあたりが結構フクザツで、極右と極左の合流地点みたいになったりする。縄文人と弥生人にさかのぼっての平和的な縄文人と好戦的な弥生人との二項対立による中国人や韓国人への差別もずいぶん見てきましたが、これって新左翼の用いた騎馬民族征服説なんかと認識が軌を一にしてたり。現存する社会問題と流行する学説は連動しているし、こうした流行の起こり方は大学の大衆化やマスメディアの発達に伴って起こった変化でもあるでしょう。
>
> ……なんかわかりきった話をしてスミマセン。

  • 猫柳
  • 2020/09/09(Wed.)

詩経について

何を読んでも、オカルト解釈やら古代中国の習俗解釈をする本ばっかりなんだけど、これって結局数十年前、戦後に流行った解釈なんだよねと。
 これがまぁ、馴染めない。
 詩経の民俗学解釈がなんとも苦しい気がする。
 民俗学的解釈の怪しいところは、文献に頼らないので、なんとでも言えてしまうところにあるわけだ。
 これは気をつけないといけないところで、あくまで民俗学は「観測者」の目線次第で物事が歪む可能性がある。
 
 民俗学解釈だと川に女が出てきたらすぐに婚姻の儀式だ川の女神だという話になる。しかし、毛詩や朱子の時代だって、結婚式の道すがらわざと濡れるルートを通り、川の女神に婚姻を願う、というのはやっていたはずである。その習俗がありながらそう解釈しないことには”それなりの合理的理由”があったのではないか。あと、川=女神=婚姻の時に濡れるのがよい、というのはアジアではままみられる習慣であり、現代でも行なっている地域はある。っていうか、中国だって今なおそれをしている地域ってあるじゃん。

 つか、現代人の私たちより、近代以前を生きていた人の方が「よほど習俗的習慣については詳しい」のではないのか? 
 その上で、そうではない解釈をするのなら、それなりの理由があるはずではないか。

 所詮、私たちは詩経が編まれて数千年後を生きているわけで、本来の意味を完璧に再構築できるわけがない。考古学がちょっと発展したぐらいで過去の学者の解釈を覆せると考えるのは傲慢すぎる気がする。
 少なくとも、近代化以前の人の方が、伝統的な習俗は真面目にやっていたわけでさ。

 あと、詠み人知れずの詩を読むとなると、その解釈って読み手にぶん投げられている状態なわけですよ。
 なんで、毛詩や朱子の解釈が間違いとは言い切れない。
 毛詩や朱子の解釈は”その時代の朝廷や貴族や士大夫の間では”そう読むことが正当とされていた、という意味では正しい。


 んー、民俗学と考古学と文学をバイアス的に混ぜた結果が、現代の文学部っていらなくない? みたいな感じにつながっている気がする。
 

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解釈の時代性

 前の記事でも書かれておりましたが、おっしゃる通り詩経の解釈について、古儒学では歴史と伝統の復古や記録継承を目的としており、内容も政治家たる士大夫の教養ですから、政治的な場で意見の表明に引用する詩の解釈として一貫していますし、それに比べると朱子学が詩を感性に由来して解釈しようとするのは、学問的な発展と高度化、あるいは仏教をはじめとした異教への対抗により、儒教が独自の宇宙論や生命論を深化する際、人間の生まれ持っての性を理として、その表出を善として尊んだことに繋がってますし、こうした歴史的背景や思想の内容と解釈は連動してますから、呪術的解釈もそれと同じですね。呪術や習俗に由来する解釈は、儒教的な過去の伝統的解釈やドグマから解放されている、イデオロギーを離れて外在的な要因から推し量れるから客観性が担保できる、とかそういう雰囲気。
 思うに、そういった"新しい"解釈なども「なぜこう解釈したのか」という時代的な要因や目的、背景などを俯瞰的に考える必要を感じます。古代人や中世人より迷信やドグマに囚われていない自分たちが正しい解釈をしているという盲信に近現代人は陥りがち。

 詩経の呪術的解釈というと、白川静氏の解釈しか知らんのですが、「それ、ただの想像じゃない?」って思っちゃうところがどうしてもあるんですよね、読んでると。
 氏の研究する字義の解釈なんかでも、甲骨文などにさかのぼって形を見比べ、現在の文字では同じ記号で書かれるものから、もともと別の形をしていたものなどを探り当て、従来と違った解釈を施したりするのを見ると、なるほど、現在の字から導かれる解釈では不足なのかと納得できるのですけど、じゃあそれを受けて施した別の解釈はというと、なんだか本当にそれが正しいのかイマイチ納得できないケースは多い。
 新儒学が古儒学に対してそうであったように、従来の固定観念を打破して新たな視点や手法の提供したとしても、それによって導き出した結論がすべて実証的に正しいとか、そういう話にはならないんですよね。むしろパイオニアは粗削りな分、怪しい部分が多いとも考えられる。

 第二次世界大戦後、当時から現在まで帝国主義の反省やらニューエイジ思想やら近代理性主義そのものが疑われてシャーマニズムについて保護あるいは再評価がなされ、家父長制から近代にいたるまで男性中心主義が理性主義に基づいて強化されたとの批判から古代呪術の顕彰がフェミニズムでも盛り上がったり。
 更にはそういった題材は創作にもしやすいからサブカルチャーを中心に一気に広まって、そのへんって戦後サブカルチャーに大きな影響を与えてますもんね。たとえば、白川静氏の影響はドラマだと『三年B組金八先生』から漫画の『孔子暗黒伝』とか。ハイカルチャーの純文学だと村上春樹氏も白川静氏の影響を受けてたり。スポーツ選手のダルビッシュ有氏が白川静氏を引用したり、とにかく広い範囲に影響が大きい。隣接別分野でこの類型でさらに有名なのは梅原猛氏とか折口信夫氏とか。梅原氏は水木しげるの漫画に登場してますし、折口氏は宮崎駿氏のもののけ姫に影響を与えてたり。
 そういえば、梅原氏はアイヌを古縄文人だと唱えたことが批判されてますし、実際ネトウヨって昔はアイヌをそういう方向で持ち上げてたんですが、氏の縄文人論って反植民地主義的な民族主義を主張する新左翼がアイヌの古い信仰や文化を顕彰したことの鏡合わせなんですよね。大日本帝国の帝国主義で犠牲になったアイヌや琉球には、もともとそれより優れた(可能性のある)前近代文化が存在した、と。そのヤマト版。画家の岡本太郎氏なんかもこういう系譜。日本は特に非西洋の帝国主義国家だったので、このあたりが結構フクザツで、極右と極左の合流地点みたいになったりする。縄文人と弥生人にさかのぼっての平和的な縄文人と好戦的な弥生人との二項対立による中国人や韓国人への差別もずいぶん見てきましたが、これって新左翼の用いた騎馬民族征服説なんかと認識が軌を一にしてたり。現存する社会問題と流行する学説は連動しているし、こうした流行の起こり方は大学の大衆化やマスメディアの発達に伴って起こった変化でもあるでしょう。

 ……なんかわかりきった話をしてスミマセン。

Re:解釈の時代性

> 前の記事でも書かれておりましたが、おっしゃる通り詩経の解釈について、古儒学では歴史と伝統の復古や記録継承を目的としており、内容も政治家たる士大夫の教養ですから、政治的な場で意見の表明に引用する詩の解釈として一貫していますし、それに比べると朱子学が詩を感性に由来して解釈しようとするのは、学問的な発展と高度化、あるいは仏教をはじめとした異教への対抗により、儒教が独自の宇宙論や生命論を深化する際、人間の生まれ持っての性を理として、その表出を善として尊んだことに繋がってますし、こうした歴史的背景や思想の内容と解釈は連動してますから、呪術的解釈もそれと同じですね。呪術や習俗に由来する解釈は、儒教的な過去の伝統的解釈やドグマから解放されている、イデオロギーを離れて外在的な要因から推し量れるから客観性が担保できる、とかそういう雰囲気。
> 思うに、そういった"新しい"解釈なども「なぜこう解釈したのか」という時代的な要因や目的、背景などを俯瞰的に考える必要を感じます。古代人や中世人より迷信やドグマに囚われていない自分たちが正しい解釈をしているという盲信に近現代人は陥りがち。
>
> 詩経の呪術的解釈というと、白川静氏の解釈しか知らんのですが、「それ、ただの想像じゃない?」って思っちゃうところがどうしてもあるんですよね、読んでると。
> 氏の研究する字義の解釈なんかでも、甲骨文などにさかのぼって形を見比べ、現在の文字では同じ記号で書かれるものから、もともと別の形をしていたものなどを探り当て、従来と違った解釈を施したりするのを見ると、なるほど、現在の字から導かれる解釈では不足なのかと納得できるのですけど、じゃあそれを受けて施した別の解釈はというと、なんだか本当にそれが正しいのかイマイチ納得できないケースは多い。
> 新儒学が古儒学に対してそうであったように、従来の固定観念を打破して新たな視点や手法の提供したとしても、それによって導き出した結論がすべて実証的に正しいとか、そういう話にはならないんですよね。むしろパイオニアは粗削りな分、怪しい部分が多いとも考えられる。
>
> 第二次世界大戦後、当時から現在まで帝国主義の反省やらニューエイジ思想やら近代理性主義そのものが疑われてシャーマニズムについて保護あるいは再評価がなされ、家父長制から近代にいたるまで男性中心主義が理性主義に基づいて強化されたとの批判から古代呪術の顕彰がフェミニズムでも盛り上がったり。
> 更にはそういった題材は創作にもしやすいからサブカルチャーを中心に一気に広まって、そのへんって戦後サブカルチャーに大きな影響を与えてますもんね。たとえば、白川静氏の影響はドラマだと『三年B組金八先生』から漫画の『孔子暗黒伝』とか。ハイカルチャーの純文学だと村上春樹氏も白川静氏の影響を受けてたり。スポーツ選手のダルビッシュ有氏が白川静氏を引用したり、とにかく広い範囲に影響が大きい。隣接別分野でこの類型でさらに有名なのは梅原猛氏とか折口信夫氏とか。梅原氏は水木しげるの漫画に登場してますし、折口氏は宮崎駿氏のもののけ姫に影響を与えてたり。
> そういえば、梅原氏はアイヌを古縄文人だと唱えたことが批判されてますし、実際ネトウヨって昔はアイヌをそういう方向で持ち上げてたんですが、氏の縄文人論って反植民地主義的な民族主義を主張する新左翼がアイヌの古い信仰や文化を顕彰したことの鏡合わせなんですよね。大日本帝国の帝国主義で犠牲になったアイヌや琉球には、もともとそれより優れた(可能性のある)前近代文化が存在した、と。そのヤマト版。画家の岡本太郎氏なんかもこういう系譜。日本は特に非西洋の帝国主義国家だったので、このあたりが結構フクザツで、極右と極左の合流地点みたいになったりする。縄文人と弥生人にさかのぼっての平和的な縄文人と好戦的な弥生人との二項対立による中国人や韓国人への差別もずいぶん見てきましたが、これって新左翼の用いた騎馬民族征服説なんかと認識が軌を一にしてたり。現存する社会問題と流行する学説は連動しているし、こうした流行の起こり方は大学の大衆化やマスメディアの発達に伴って起こった変化でもあるでしょう。
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