乱暴に言えば、日本文学は夏目漱石よんでりゃいいです。
と、いうのは、夏目以降、夏目以前では日本語の構造が大きく違うからであーーーる。
日本語は夏目以降、夏目以前で分ければいいのだ!
で、夏目以降、夏目以前で何が違うのかと言えば、漢字の使用率である。
そう、漢字漢語まみれの現代日本語は、夏目漱石が作り出した全く新しい日本語なのであーーーーる。
これは、それ以前の、樋口一葉 坪内逍遥の小説を読めばよーくわかるのであーーる。読めないのでアーール。歌舞伎みたいな言葉遣いなのであーーる。
つまり、現代日本語に漢文の素養が不可避。そういう構造にしたのが夏目漱石なのだ!
一つの国の言語をここまで改造した作家は夏目ぐらいである。
夏目以前の日本語において、漢字漢語というのは、武家ぐらいしか使い倒していないのだ。
しかし、同時に、夏目漱石の政治性や思想的背景がめっちゃんこ複雑だというのも事実。
実家の都合で東大で英語を学ばされたものの、本人は二松学舎で漢文をやりたかったらしいしね。
『草枕』の背景には、前田案山子っちゅー自由民権運動家の存在があるわけだし。
ここら辺の政治っちゅーのがめちゃ複雑なのである。
そもそも、古典と現代文を分けるのがいけない。
現代文は、歴史の結果生まれた、日本語の一形態にすぎないのだ。
文字ー文法ー文章ー物語 というルートでしかものをかけないのだから、ものの基礎は文字であり、文法であり、文である。
文字を使い一定のルールに基づいて書かれた文章の塊を、複合的に解釈することで生まれるのが物語である。
本来の国語とは 書ー古典ー鎌倉から江戸時代の文芸ー現代文学、それらを一括りにしたものでは無いか。