近況報告
今、セカンドハウス的に家族が使っているワンルームマンションの引越しをしてましてね、それがひと段落つきそうだからブログ更新っす。
で、案の定、契約の解除とか、契約の締結とか、法律的な雑務に追われているわけでね。 ええ、一言で言うと忙しかったです、はい。
と、いうのも、大都会のオンボロマンションの三点ユニットバスのトイレ部分がとうとうダメになりまして、もう二度とユニットバスは借りないと心に誓ったんですが、まぁ、部品がないので修理とかできないぐらい古いのですわ、で、ユニットバスの取り替えって三日四日取り替えに時間かがかかると、まあ、結局あれでしょ? 引っ越さなきゃならんって話でしょ? どっちにしろ。
あと、借りた時は、ユバーバみたいな貿易商のおばあさんが隣にいたんだけど、それがオーナーとの契約更新が如何の斯うのと年齢的な問題で退去、新しく来た隣人がまぁ、タバコを吸うこと吸うこと。それもあってですね、住環境が悪くなってたんですよ。(……タバコだと思うんだ、きっとタバコだ)
つーことで、一週間で全てを決めてね、もう、忙しい、忙しい。
畳六畳ぐらいの部屋でも、結構荷物があるもんでな。
しっかし、引越しのその日にトイレの水が止まらなくなったのはビビった。
で、コロナのせいなのかなんなのか、都会の不動産価格が値崩れしているような気がするんですよねー。昔は、単身者用マンションって名前通り単身しか無理で、セカンドハウスが欲しいなんつー要求ははねられたんですが、今結構ゆるくなってるんですな。
本題
ようは、学問を始めようぜっと宣言したやつがいるから、中国語は偉いわけです。
これが、奇跡の紀元前5世紀生まれなんですよね。ソクテラスとブッダが同時期に存在しているという。ただ二人と違うのは、孔子の読み書きして喋っている言語は残っており、それというものが世界最古の”現存する”言語体系だということですよ。
文化っていうものが、学問を通じて文明になったわけでね、文明っていうものが人類最大の武器な訳です。
別のいいかたをすれば、中国つうか、中原に隣接する諸民族はずっとこの男の暴力にさらされ続けているわけですよ。
この男の思想性がどうのという問題ではなく、文化に対して文明というものがが強すぎるという問題ですよ。
学問始めようぜ宣言の何が暴力的ってね。
孔子の言動録である論語にはあまり観念的な用語がないんですよね。
それこそ、論語に嘘が少ない理由でもある。
孔子以前には目立った思想家ってあまりいないし、思想家があまりいないということは、形而上のことを考え、概念を整え、観念的な思考を確立している人物がいないということであり、また、その用語を整理している人間もいないということであるわけでね。同時に、学問の最大の目的って、目には見えないことを「考え、整え、確立する」ことなんですよ。
つまり、弟子にそれをやれといった男な訳で、そういう道があるぞと示したのがでかい。
で、論語の時代にない言葉に、それこそ「道徳」があるわけです。ちゃんと読むとわかるけど、道と徳を合体させた「道徳」という言葉は論語には出てこない。つまり、孔子の時代に、このような観念的な用語がなく、言い表せないことだったということがよくわかる。
時代が二百年ほど降った孟子や荀子の時代になると、その言葉の多くが観念的になっている。
ようは、孟子荀子の読みやすさや理論の整然とした形式は、孔子の「学問のすすめ」の起こした革命の結果なわけです。
たとえば、仁義なんていうのも、すっごく観念的なわけです。仁も義も目には見えない。ましてやこれを合体させた用語なんてのは影ぐらいしかない。これも論語にはなく、孟子には出てくる。
人々が学問をすると、観念的な用語が爆発的に増えるわけです。
これが、武力以上の暴力な訳です。
武力で圧倒したところで、人を一人一人武力で抑えるわけには行かない以上、観念って強いんですよ。ようは、道徳や法律のパワーってすごいの。
法律なんていうのは、その用語に、物質的なものがあまりに無いんですよ。
ようは、法律って、観念的な用語の塊であって、その観念的な用語の塊が、物質世界の物質の性質を規定している。
こんな暴力ないっすよ。
だって、法律に基づいた文章で証明できれば「ここの土地は誰が住んでいようが俺のだ。でてけ」って言えるんだから。
刑法なんてもの、総論なんてのは普通の人はわからないですよ。観念の塊。
要は、人間ってのは、観念的な用語によって思考と行動を制限され、それを自前の感覚だと思い込まされているわけです。
つまり、学問を発明した男はとんでもない暴力的な男ってわけです。
ようは、王族とかって、冷静に考えてみりゃ、先祖が武力を持っていて国を支配したからって、なんでその子孫まで偉いんすかって話ですよ。それを支える観念的なものがなけりゃ無理ですわ。そんなん。
で、武力がいくらあっても、こういう理屈をこねくり回せないと統治はできないわけです。結局、漢民族の官僚を使わないとあかんのはこういうことでね。でも、漢民族の官僚を使うってことは、次第に支配者層の頭の中が入れ替わるじゃないですか。
で、その官僚って、孔子の学問を引き継ぐ孔子的暴力集団なわけです。