アナーキズムの人には悪いが、国家の役割は増大するし、国家の力はこれからもっと巨大になり、国家はより観念的な集合体になっていくだろうというのが私の見立てである。
そして、その巨大な国家を支えるものが行政法であり、すでに行政法の世界は民法や刑法を圧迫している。
それに、ベーシックインカムを望むなら国家主義には反対できないし、国家を滅ぼしたいならグローバリゼーションに期待をするしかないのではないか。TPPのISD条項なんてもろに国家主義の否定だぞ。
直接民主主義を機能させたいのなら、びっくりするぐらい共同体を小さくしていくしかない。しかし、極小共同体の塊となった国って、それって防衛とか福祉とか教育とかどうするのさ。
間接民主主義はやればやるほど国民同士の連帯が壊れていく。トランプの言動を見ればわかる。選挙やる前から郵便選挙は不正選挙だってつーてんのだから。
しかし、現実は変えられないので、まぁ、民主主義も機能しなくなっていくし、ローマ法的な自由主義的世界も限界を迎えるだろう。コロナ禍を引き起こしたグローバリゼーションは廃れ、国家による専制は強まるだろう。
専制が不幸なことかと言われれば、そうでもないんですよ。
自由主義社会と民主制と民主的な法律の世界は闘争の世界であり、それは言語による闘争なんだから、実際には民主制の方が”頭よくねーと死ぬ”社会なんですよ。自由民主の政党が弱者バカアホしばきあげなのは思想的に正しいのさ。弁論大会に出れないようなバカとアホは死ねっちゅうのが自由で民主的な社会だからね。
で、そういう社会は蛸壷みたいになっていくからね。
ていうか、すでに民主主義国家の思想界って、皆様が転向に転向を繰り返して、蛸壷化して訳わからなくなってるじゃんか。
そうでない民主的な社会っていうのは、寄り合い村社会のことをいうのだ。そういう村社会が嫌だからみんな都会にしがみついてるんだろ?
つまり、そうは言っても今時ね、村では暮らせないし、アゴラでの言論による勝負の世界にもいられないんですよ。
んでもって、専制の方がバカアホは生きていやすいと思うよ。
キリスト教や儒教による専制社会が続いたんだって、そりゃ、ボンクラはその方が生きていやすいからだよ。
つか、アメリカはおそらく専制国家に舵切らないと内戦に突入だろうなぁ、と思っている。それでもいいけどね。どうでも。
まぁ、今は世界を頭よくねーと死ぬ社会大好き人種がしばいているんで、そりゃこうなるよね。
私だってちょっとは嫌さ。専制って怖そうなイメージあるもん。
しかし、現実が現状を許さないからね。
だからこそ、儒教3.0みたいな時代が来ると思ってるんですけどね。で、おそらく、まだ儒教3.0は在野でうんうん唸っている状態だろうと思われる。
と、いうのは、行政法の分野って広がっていく一方だよね。
そもそも、本来私的財産のハズの建物だのなんだのって実際には行政のお許しなしには作れないわけです。
それにしても、行政の世界って、人ではなく組織が責任取るわけでね、つまり、無人の権力が人間を支配している状況なわけです。
行政法の理論と現代思想は絶対どっかで対立する。んでもって、行政法が勝つ。
自由だの民主だの言ってみても、行政法の分厚い壁と対峙しないのならそれは嘘つきというものですよ。
しかし、人に教育や福祉を与えているのは行政法なんですよ。
アメリカのIT関係の人って、意外に思想に明るくて、ニック・ランドとかの思想を勉強しとるんですが、彼らは自由と民主のジレンマから、自由を選び取り、アイン・ランドばりのリバタリアンになった人ばっかりなんですよ。
で、その彼らが今どうなっていますか? って話だよ。
おもくそ、行政から首輪つけられてんじゃん! って話だよな。
たまたま、ITっちゅー無法地帯があっただけで、それも法律にあっという間に絡めとられ、行政法のお世話になっとるわけだ。
つまり、IT業界のリバタリアンって現実が見えてないガキの集団だったってだけだろって話だ。
そもそも、それだって、民主に負けたわけではない。
行政こそ権力の実態であるが、行政そのものを選挙して選んでいるわけではない。
つまり、自由と民主ではない、自由民主と行政の話だったのだ。
そして、権力の本丸は行政であり、その行政はおどろくほど高度になっている。
で、だからこそ儒教の時代が来るのだよ。
儒教3.0っすよ。
考えなきゃあかんのは、体を持たない皇帝権力であり、日本では天皇機関説に行き着くわけだ。