この一年、すっごく注意して生きてきたので、風邪っぽい風邪をひかなかったんですよ。
喉痛いかなーって思っても、うがいしお茶飲んで寝てたら治ってたり、例年ズビズビいっていた鼻水もなんとなく止まっていたり、手指の消毒とマスクと人混み行かないを実践すると風邪って引かないんだなーって実感。
こんだけ風邪をひかなかった年はない。
まぁ、コレまではいやってほど誰かの風邪をもらっていたんだなーっていうことでもある。
コロナが収束しても、消毒とマスクはして生きていこうと思うぐらい、今年は体調が楽。
例年、年に3回ぐらいは熱を出していたような気がしますが、今年はゼロ。
で、予防接種を受けたらだるいだるい。
そうだ、風邪ってこういうのだったって実感するぐらいだるい。
注射打ってるから、腕がだるいーのですよ。
で、なんとなく目頭があつい。
で、病院で、難しめの本を読んで待っていようと思ったんだけど、病院って忙しいところだから無理でした。
桜玉吉がまだ鬱になる前の日記漫画を読んでました。
九十年代の空気を感じ、あんまり今と変わらんなーと思う。
インターネット以前と以後は明らかにあるんだけど、見える世界がそこまで変わった気はしない。
今、私の中でちょっとした九十年代リバイバルが起きている。
で、幽遊白書とかみてる。
改めて見ると「なるほど、こういうことか」ってなるね。
幽遊白書が、三界の垣根のない「新しい世界」が最後に訪れて、そこで生きるしなやかさを持つ人たちの話だとするなら、「るろうに剣心」は明るいはずの新しい時代に対して不器用な人たちの話なんだって思うよね。
るろ剣は、主人公その人が、人斬りでもなくだからといって刀を捨てれない、という微妙な立ち位置だからね。で、過去はガッツリ人を斬っている暗さよ。つまり 幕末ではないが、明治にはなりきれない男なわけだな。
今思えば、この二つが同時期に連載されていたのはすごいな。
で、その後、ジャンプはボーボボあたりでわけがわからなくなり、ワンピースで盛り上がると。
幽遊白書はすごい作品で、ライゼンが浦島幽助の先祖であることにより、世界観と主人公が付かず離れず、という関係になってるよね。ライゼンは新しい時代が来ることを予見しながらも「新しい時代への過渡期だからこそ、食人鬼が存在する。新しい時代に食人鬼は必要ない」という考えだからね。
思えば、九十年代って、漫画アニメからゲームへの移行期でもあったよね。
いまじゃ、アニメ映画が大流行でコレだけ流行っています! 儲かっています! っていっても、ソシャゲの一ヶ月分の収支にもならなかったり。
ゲーム業界って今や兆のお金が動いているから、市場規模がもう桁違い。
漫画とゲームのバランスで、ゲームが上に行った瞬間が、アークザラッド2だと思っていて、ゲームとしてはつまらないんだけど、アークは「世界観が現代なんだけど、忍者とかが普通にいる世界」っていうフォーマットを完成させた気がする。特に、アメリカ風の景色の中にいる「忍者」よ……。
でもこれって、ゲームだからできたことで、漫画だと少しテレがあるよね。
いままで、そういう漫画がなかったってわけではないが「いや、でも、違和感あるやろ」ってやつよ。
でも、もうそろそろゲームを超えそうなカルチャーが出てこないかなーって思っている。
で、新釈漢文体系の孟子が届く。
中古だったんで、ちょっとシミとかあったけど、やっぱりいい本。