絵を描こうとする人はみんな哲学者です。
上手い下手に関わらず。
特に、自分のために描こうとする人は。
絵を描くためには画材が必要です。
ここで、画材と絵を描くことの歴史を簡単に、私なりにまとめます。
なお、現代アートと言われるものは、この動きがより早く、ラディカルなものだと思えば、理解の手助けになるかも? ……。
絵を書くためには道具が必要なので、道具の発明が描くことそのものの環境を変えてしまうことがあります。
そもそも、絵の具というものはものすごい高いものだったわけです。
ラピスラズリやソーダ石などを砕いて作られるわけで、いわば、宝石をガリガリ削って油やタルクに混ぜたものだったわけで、そんなものは一握りの貴族や宗教権力の贅沢や権威づけの道具だったわけです。
絵画そのものが宝石を塗ったくったものなので、王冠のようなものです。
その時代の画家に自由なんて特にありません。いわば、職人芸なんです。
その時代の名画を集めた美術館に、ルーブル美術館があります。いっちゃなんですが、ナポレオンがイタリアから強奪してきたもので溢れているわけですが、ナポレオン自身が反動的なんで、まぁ、そういうことです。
ちなみに、ルーブル、お金で貸してくれるので、保険会社が子供の絵を飾ったりしてます。
お金の芸術だからお金で貸してくれるのでしょうか。
その代わり、ルーブルに飾られている絵は誰が見ても立派です。
絵で人をすごい! と言わせるのには重厚で写実的な絵を描けばいいのがよくわかりますね。
化学染料や化学顔料の発達と、産業革命の産物がオルセイ美術館です。
個人の自由な表現の時代、とも言えますが、それが起きた理由が染料や顔料が化学的に合成できるようになったことと、それが産業化し、安く便利になったことです。
絵の具がパッケージで売られるようになり、色鉛筆やパステルが生まれ、旅先で気軽に、市民が描く時代がやってきました。
当然、その恩恵に預かった最大勢力はパリやロンドンといった大都市に住む都市民です。
絵柄は多種多様で、手法も多種多様になっていきます。
その後、芸術そのものが産業となっていきます。
ファッション業界や映画産業、アニメ産業とクロスする時代ですな。
その時代に生まれた画材がドクターマーチン。技術で言えばセル画でしょう。
そして、工業化です。
工業とがっちり組んでいる画材はコピックでしょう。
フェルトペンの一種です。フェルトペンそのものは考案そのものは古いのですが、実用化されたのは50年代のアメリカで、すぐに日本にもマジックインキという名前で実用化されました。
コピック、つまりアルコールマーカーの最大の利点は、カラーシステムにあります。
ファッション、建築などのデザインのために開発されました。コピック最大の利点は、コピーのトナーを溶かさないことです。
同時に、カラーシステムが優秀だということは、アニメなどの制作現場にも最適でもありました。
特に、コピックがイラスト画材として重用されたのは、カラーインクと同等の印刷への適合と、カラーインクより退色しにくいことと、持ち運びの簡便さでした。特に持ち運びの点においては、コミックマーケットなどのイベントでの使用が便利なのでした。
それと同時期に、画材のデジタル化も進みました。
いわば、画材の情報化の時代でしょう。
本来は写真編集のためのアプリケーションだったフォトショップによるペイントが主流でした。
今ではipodなどのタブレット端末のおかげで、様々なアプリが開発されています。
その写真編集アプリも、そもそもなんで普及したのかと言えば、出版業におけるMacによる誌面の編集が増えたからでしょう。デザイナーはMacを使っているもの、というのは誇張ではなく、九十年代や0年代ぐらいまではそういう時代でした。
DTP革命と言われる、パソコンで版組んじゃおうぜ、という革命のおかげで、アメリカでは瞬く間に活版印刷が廃れます。
そしてインターネットの時代です。
アナログからデジタルへ。
イラストレーションや絵画といった表現活動の場もデジタルへ移行していきます。
デザインというものが社会に与えるインパクトは地味にでかいので、描くことは社会の構造と不可分ではないことがよくわかりますね。
こう並べてみると、私たちは自由になったのか、不自由になったのかわかりませんね。
絵というものがものすごく自由だという概念そのものが、産業革命時に作られた幻想なのかもしれません。