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猫柳草庵

猫柳の隠れ里にある、庵です。 よろずのことを語るブログです。 政治やら思想やら宗教の話もするから苦手な人はスルーしてね。

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書評 武曲 2 内容的問題

これまでの書評
書評 序
書評 1




 何がひどいって、常識がないのがひどいって話なんです。
 まぁ、私がピーナッツキングの支配する千葉の常識で生きているからですかね?
 鎌倉ではそうなんですかね?

 しかしですね、この常識のなさ、言い方を変えれば、世間の無さ、世界の無さ、他者の無さ、この外部性の無さが、ひどいレベルなんですよ。
 
 例えばですよ? 属託の部活コーチがですね、何があったかわからないけど、高校生と決闘して、高校生を半殺しにした……。
 これ、警察沙汰にならないのおかしくないですか?
 この小説、一切、ならないんですよ。
 そもそも、事件性のある重症人が運ばれ来たら、病院って通報する義務とかあるはずでは?
 普通に考えた、校長の首が飛ぶレベルの不祥事ですよ?
 
 1万歩譲って、ここで警察沙汰になってね、アル中が逮捕されてね、高校生側が「警察は俺のいうことを何も聞いてくれない」「俺は合意の上でやったことで後悔なんてないに」とかねいうならね、あとの昇段試験のシーンの「ファシズムっぽい」って意味がわかるんだけどね? んー。やっぱりわからん。
 結局、なーんにもならないの。
 そのまま退院して学校行くのよ、こいつ。
 法律とか、ないの? って思うわけ。

 坊主は坊主でアル中甘やかして、頭丸めさせてさー、それ、犯人隠匿罪では?。
 てか、アル中、親父の頭もかち割ってるから、二人を殺しかけたとんでもない犯罪者では?
 
 なんていうのか、本当に、全体的に「法律」みたいなもんがないのよ。
 外部がないの。
 つまり、社会がない。
 こんだけ社会がないと、人間って悩んだりしないよねーってぐらい、社会がないの。

 これ、確信したけど、男には男の 食堂かたつむり、みたいな都合の良い妄想世界があるよね? 
 


 言っておくとね、親子の葛藤ってなんで起きるのかっていったら、親子っていうのが、人間が最も最初に獲得する社会だからですよ。そして、親の社会が、子供の社会を決めてしまうからですよ。
 多くの場合、貧困問題や文化格差もここに起因しますよね。
 そして、親からは体ももらうわけですよ。
 だから、もしかすると 自分の親は本当は違うのではないか、とか、自分は妾の子供だ、とか、親を乗り越えることができない、虐待されて育った、みたいなことが、人間存在の基本を揺るがしかねない悩みになるわけですよ。
 なにせ、強制的に与えられる、人類最初にして最大の社会が家族だもの。

 社会なんかねーや、外部なんてねーや、みたいな世界ではね、そもそも比較対象がないんだから、悩みようがないじゃん。
 だって、毒親に育てられた人って、「社会に出てから本格的に親がやばいって気がついた」とか「結婚してから気がついた」って人が多いでしょ?

 これが天秤みたいな話でね、主人公二人がいて、片方が親との葛藤を抱えていた場合ね、もう片方は「ものすごく愛されている子供」や「他文化の出身」「似たような悩みを持つ」とかでないと、比較しようがない。

 これ、孟子のさ、萬章章句上の1に出てくるような、人類最大の問題なんだよ?
 「舜往于田、號泣于旻天、何爲其號泣也」ってことだよ?
 でもさ、この話だって、自分が王のような立場になり、人に礼を教え、率いる立場であるからこそ、親に愛されない自分の心が余計に傷つくんだって話だよ。
 自分がいい政治をすればするほど、人と人とは慈しみあうんだから。
 それも、のお父さんってさ、目が見えないからこそ再婚したんだよ。その母親ががとんでもない毒親なんだよ。でもお父さんだって、それは、もう、息子のことを考えたから再婚したと思うんだよ。だけど、その母親にしてみても、自分が産んだ子のほうがかわいいじゃん。こんなのどうしようもないじゃん。
 自分は民に結婚の礼を説かねならない立場なのに、親子関係が破綻してるから、自分はそれができないんだから。それができないからこそ、妻に対する思いは複雑だよ。
 社会があればあるほど、こういうのって複雑になっていくんだよ。
 


 この小説で一番いらないのはね、映画だと柄本明が演じる坊主なんですよ。
 こいつが二人を掌で転がして、社会に出さないから、テーマがぼやけるんですよ。
 外部性を否定して、出てくる女はみんな都合が良くて、そのくせ無頼を気取っているっていうね。で、なんかあると仏教用語だして誤魔化す、と。
 坊主が巧みに人を操って、社会との衝突をふせいで、二人を傷つかないようにしてるんですよ。
 そんな状態で手に入れる救いなんてね、偽物ですよ。

 簡単にいうと、これ、ホモソーシャル小説なんですよ。

 そして、そのホモソーシャルっていうのが、未成長の男らしさからくる甘えを全部吸収してくれる狭い狭い交友関係なんですよ。
 逆説的に、すんごく女々しいの。
 登場人物がっみんなっ。

 この小説が一番嫌いなところはね、登場人物がみんな「女々しいのっ」。
 なんか、悩んでるフリしてるだけなの。
 

 例えば、アル中、自分の母親が母親じゃないって知って泣いて父親に感謝するだけからね? 私ならおとん殴りに行くと思うし、一生許さないし、むしろ殺した方がよかったって思うよ。 っていうか、自分の子供じゃない子を育てた戸籍上の母親が一番の被害者じゃないのか? 逆に気が狂うわ。
 結局なんだ、お前、母親でさえ、ホモソーシャルのための生贄なのかよ……と。

 高校生のほうは、なんか、あれだー、昇段試験を蹴って、これはこれで試合だとか、まーそーゆー、社会を自ら蹴ってるもんな。
 


 またまた、書くけど、 60近いおっさん、大学の講師、芥川賞受賞、作家キャリア四十年近く、がこれだよ?  
 これね、日本小説における最大の問題点なんだよ。
 結局ね、多くの小説が、ホモソーシャル小説なんだよ。
 ステレオタイプの女! 昭和から変わらぬ喋り方の女! いまだに飲み屋にいる着物姿の女! 男の悩みをなんでも吸収するオムツみたいな女! 


 いやいや、そんな、いい大人がそんなこと書いて……。


 
 
 
 
  

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