全体的にpixivの小説を読みながら感じたのは
みんな好きなもん書いてるはずなのに、もれなく同じ文体なのはどうして?
という、イラストが同じようなもんであふれている事以上にやばい現象です。
同じ文体ばっかりって、そりゃ、読んでるものが同じなんだから、こりゃ異常事態だよ!
基本的に文章には、こういう文体だから売れるっていうものはあまり無いので、イラストが同じようなもんばっかり、と比べると、その異常性が際立つ。
結論から言うと、読んでるものが同じだから、同じ文体になるんです。
同じ文体ってことは、頭にインプットされている語彙がほぼ同レベルで、インプットされている文章構造も同レベルってことだから。
こういう文体だから売れるって言うのが無いっていうのは、娯楽小説も文芸小説も同じで、作家の文章を並べてみたら、割と違うんですよね。
宮部みゆきと京極夏彦と平山夢明あたりを比べると明確だと思います。
全然、文体違うから。
……つまり、読んでるものが同じって結論ですよ。
で、この頃の文体って、やたら説明口調だって事ですよね、問題は。
そう、水準が高レベルで同じならまだしも、低レベルで同じなんですよ。
それも、赤点にはならないけど、満点は決してつけれないっていう。
で、この頃流行りの文体についてまとめると。
大体一人称。
状況説明にキャラクターの心理的説明が入り込む。
状況説明に比喩的な表現はあまり使わない。
比喩表現少なめのアクチュアリティ(実際性 現実性)を重視してる風の文体だが、状況説明にキャラクターの心理的説明が入り込むせいで、アクチュアリティが削がれている。
心理的説明においても比喩表現はない。
どちらかと言えば文章は硬いが、漢語的表現は少ない。
場合によっては、薄い状況説明で、つらつらと心理的説明が続くため、何がどうなっているのかわからなくなる。
全体的に技巧的な表現は少ない。
文章のキメは荒いが、無駄に文字数は多い。
段落ごとの文章数が多い。
ワンセンテンスごとの文字数も多い。
全体的に、ストーリーや演出のわりにボリュームあり過ぎ。
の、割に、文章にこなれ感があるから始末に追えない。
これが全体的な傾向です。
ようは、文字で書かれたアニメやゲームの感想文ですね。
まぁ、つまんないっすね。
そのジャンルに入れ込んでないと、つまんない。
一次創作でこれやられるとたまんない。
基本的にこれ、私が読んでて読んでてつまんねー小説の特徴的文体そのまんま。
まず、気になることを。
一段落のボリュームが多い。
これが、スマホで文章読むとき、災害レベルの何かになっている。
スマホの画面で表示される横書きの文字数は多くて20文字。
文字大きめだと十数文字。
段落に文字を詰め過ぎると、ずらーーと長い文章の雪崩になる。
縦書きでも、どこを追っかけているのかわからなくなる。
紙の本を読むときと違って、スマホは、指を置くだけで動くから、それも災難。
紙の本を読むときは、段落があまりに細切れだと、水増し感ましましで、本が重たくなるんで、それは勘弁してって感じだったけどね。
なんだ、つまり、デジタル機器で文字を読むときは、段落が長いだけで読みにくさ2倍ましまし。
特にスマホではそれが顕著。
ワンセンテンスの文字数が多い。
これがひと段落ごとのボリューム多過ぎ問題に直結している。
この、センテンス、段落のボリュームコントロールは、読み手の呼吸のコントロールなんですわな。
例えば
風が吹いている。
高原を吹き渡る、冷たい風だ。
風が吹くたびに、ズボンの裾を、若草がくすぐる。
と
風が吹いている。高原を吹き渡る冷たい風だ。風が吹くたびに、ズボンの裾を若草がくすぐる。
では印象が全然違う。
上は勿体ぶってる感ががあるが、段落の切り目ごとに、短い一文一文を吟味させる効果がある。
下になると、とたんに説明してるだけの印象になる。
下のほうが書き手の苦労は減るんだけどね。
このテクニックを使うのが上手いのが、夢枕獏。
彼は、漫画小説としたの表現をしていると語るが、これは立派なテクニック。
これを発展させて、さらに詩的かつレイアウト的に神経質なまでなことをするのが京極夏彦。
ここ。
ここだ。
それだった。
それに気づく。
それはもう遅い。
全ては済んだこと。
全ては終わったんだ。
みたいにやってくかんじね。
(これはネット上でやるのが難しい、紙媒体特有の仕方だと思う)
こう言うことまでやる必要はないけど、ネット上でものを描く上では気になるよね。
ただ、逆に異常なまでに段落を長くするというテクもある。
これは頭が良さそうに見える。
頭が良さげなキャラクターを描くときとかは、わざと長いセリフにすることもある。
地の文でも同じで、硬い文章で段落が長いと、その視点のキャラクターが客観的な視点を持つ知的なキャラクターに思える。
二次創作が中心だから、そりゃキャラクター説明とかはいらないわけですが、それにしたって、お前どこにいるんだっていうのが多いですね。
凡庸でもいいから比喩表現が入らないと、細かい情景が浮かばないので、これは難点。
(例えば、キラキラとした川の流れ っていうと、その日が曇りだと思う人は珍しいでしょ? その川がヘドロ川だと思う人も珍しい。 これでなんぼか文字数を減らせる。
次は、このキラキラとした川の流れをいかにして、斬新にしていくかですが。
視点のキャラが、客観的なのか、主観的なのか。
老成しているのか、幼稚なのか、で変わってくる。)
場合によっては、薄い状況説明で、つらつらと心理的説明が続くため、何がどうなっているのかわからなくなる。
って言うのが難点で、どう言うわけか、心理説明にほとんどが使われているので、ストーリーは進まない、アクションは起こらない、演出がない、なんですよね。
心理説明の仕方が個性的で面白いならまだしも、ですよ。
本来、心理説明なんぞなくても、キャラクターの心が曇り空だったら、空を曇らせりゃいいし、泣きたい気持ちだったら、ザアザア雨をふらせりゃいいんですよ。極端な話すりゃ。めっちゃくっちゃ古典的手法だけんども。
ようは、これ、人が詩を読まなくなったからだな、と言う話ですよ。
の、割に、文章にこなれ感があるから始末に追えない。
これが最大の難物。
イラストでもそうなんだけど、ようはデジタルによる恩恵がでかい。
昔なら、いちいち辞書や辞典を引いていたようなことでも、ネット検索や辞書機能でわかるから、よくわからんけど書けてしまうことが多い。
思ったことをそのまま音にして打ち込む、って言うのがパソコンでの文章を書くときに注意しないといけないこと。思ったことをそのまま音にできてしまうのが、最大の利点でもあり最大の欠点である。
ブログを書いたり日記書いたりするような感覚で小説も書けてしまうんだな。
これは文章を書く上で考えなきゃいけないポイントである。
これをやると文章のボリュームは増やせるし、一見文章が古慣れて見えるわけです。
イラストや漫画のレベルは上昇傾向だが、文章は明らかに悪くなっている。
これが最近の二次創作界隈に感じることかな。