食堂かたつむり
現代の小説をあまり読まないんですが、まぁ、なんだ、年に数回フラーっと現代の小説も読みたくなり、キンドルで買ったり借りたりサンプルをダウンロードしたり。で、今回はサンプルの段階ですんげーカスを掴んだわけで。ある意味30ページでわかる地雷だったからいいんだけどね。
『食堂かたつむり』っていう映画がひどいっつーんで、原作小説つきでそーんなひどいこったあるまい、なんか映画撮った人らの解釈が間違ってるんじゃないの? 過度にファンタジーにするために、過度にキャラクターたちが誇張されてるんでしょ?
みたいなことをおもった私が悪かった。
たぶんな、映画の方がましだよ。まし。
大体何がっいやーって、一人称視点の小説なんで、この小説の主人公のありとあらゆる行動や心情に付き添わねばならぬという苦痛が痛くて苦しい。
何がって、その主人公の死生観が理解できない!
なんだろー、ものすごく特殊な宗教にハマった人の内面をのぞいている感じがしたね。
15歳で都会にでてレストランで働いて祖母と暮らしていたんだけど、その祖母がある日、帰ってくると死んでいた。で、こいつ、わざわざ祖母が死んだことを確認してから、その場にあったドーナッツを貪り食い一晩を過ごす。それも、混乱していたとかじゃなくて、祖母との思い出を噛み締めながらほっこりしたかったから、みたいな、という、なんかこう、なんて言えばいいんだ。ぼってーきょうてぃ、です。つまり、すごく怖い。
何が怖いって、映画でもそういうシーンがあるんだけど、映画の場合は、演技している人を私が見ているだけでしょ? そのシーンを。見てる方は、なんだこいつって思ってりゃいいわけだよ。ハンニバル レクターが人の脳味噌食ってるシーンみたいに思ってりゃいいわけだ。
小説は一人称視点だから、その時、主人公が思ったこと、感じたこと、ドーナッツの味、ありとあらゆることを主人公の視点からお送りされるわけだ。特に、ご遺体の横で食べるドーナッツの味なんて表現されても、理解することを私の頭が拒否するわけだよ。
でー、トルコ料理屋で働きながら、インド人と付き合うのだが、ある日家に帰ると、そのインド人に糠床以外を持ち逃げされる。で、失語症的な症状がでて、しょうがないから生まれ故郷である「おっぱい村」に帰ることにする。つか、持ち逃げ彼氏をインド人にする必要性ってなに?
ここらのくだりも、一人称視点であるが故に辛い。
そのインド人彼氏を取り巻く淡い妄想を3ページぐらい読まされる。
辛い。
そう、逃げ場がない。
でー、しょうがないから、ろくでなしオカンから金をもらいおっぱい村で食堂を開くことにする、というのが本編。
私、そこまで行く前に心がへし折れました。
だって、おっぱい村に帰ってきたなり、こいつがしたことって、野原で野ションだよ?
書評っぽいなにか
海外で賞をとりに行くために書かれた作品だと思った
最近の作風は比較的マシらしいんだけど、まぁ、編集しだいじゃない? ってところ。
つまり、こういった、食と倫理、食と生命、みたいな重たいテーマじゃないから、露呈しないだけで……。
で、映画のあらすじでは、色々とあれやこれやで、主人公が「水鉄砲に○子詰めたもので受精」という、なにそれ乱行パーティーの隠喩? って方法で妊娠出産されたことがわかり、主人公は不倫の子ではないってわかったり。
ろくでなしおかんは初恋の人と結婚してすぐに癌で死んだり。
ペットの豚をと殺したり。
まーわかるんだよ。
テーマがおそらく 食と倫理 食と生命 みたいなもんだろうな、とは。
ただ、伝え方が悪いし、そこに、生と性みたいなものも入れてしまったことで、むしろファンタジーが壊れているんだよね。
そして、実のところ、食と倫理みたいなテーマをファンタジーで伝えることも不誠実なんだよね。だって、それ以前のエピソードが全部、ご都合主義なんだから。
「かもめ食堂」「深夜食堂」「極道メシ」みたいなものあるけど、それらは「食と生活」みたいなテーマの方が近いので、違うんだな。
やっぱり、飼っていた豚を屠して死にゆく母の披露宴に出す、という場面は「食と生命」がテーマなんだなぁと。生命の教室ってあったじゃない? 小学生が豚を飼って、それを調理するっていう。
ただ、伝え方が悪い……。(たぶん、食堂かたつむり をここまで真剣に批評してるの私ぐらいだぞ あぁ辛い)
たぶん、作者がテーマを煮詰めることなしに描き始めて、こんな重たい話になったんだと思うんだよ。
序盤から母親が死ぬっていうことがわかっていて、その覚悟をもって豚を飼っている、という風にしないと、読んでる方は困惑するよね。
あと、これがミッドサマーみたいだっていう感想もあるけど、なんていうのか、所々に、意図的なのか無意識なのか、宗教的なイメージも多くつかわれているんだよね。
処女懐胎、最後に出てくる白い鳩、不倫の子と言われて虐められる主人公、野ションしたあと見つけた雨蛙指先をかわす、と探せばもっと見つかると思うんで、これはキリスト教圏、もしくは聖書をはじめとした西方の神秘主義をわかる人が読んだら別の感想が生まれるだろう。
で、最後の最後は、店の前で死んでいた白い鳩を食べた主人公は、それで言葉を取り戻すんだけど、これも宗教的モチーフだよね。白い鳩はキリストの父のモチーフでもあるから。神の肉体を体に取り入れることによって、ロゴスを取り戻すなんて、すっごい宗教モチーフじゃん。
舞台のおっぱい村っていうのも、女性原理的な世界観の話をしているのだろう。
た、だ、これを受け付ける日本人、つーか、東洋人は珍しいだろう。
これ書いた作家は、清泉女子大に通っていたらしいから、キリスト教の知識があるんかもしれないな。
んでもって、あれだ、えー……。
うん、キリスト教文化圏なら、処女懐胎だの不倫の子だの、白い鳩だのが、記号やナラティブとして成立していて、勝手に思想を読み解けるんだろうけど、日本人はそうじゃないから。
だからなのか、フランスやイタリアで賞をとっている本でもある。
おそらくカトリック圏の人にとって、納得できる世界観の本なのだろう。
それこそ、マリア信仰のある場所だな。
まぁ、なんだ、マリアの話をしてるんだ、マリアの。
(しかし、他の作品にはそういう宗教的なもんを感じないんだけど、誰かが入れ知恵したのか?)
冷静に考えれば、フランス人はかたつむり食べるしね。フランス人なら 食堂かたつむり って違和感感じないよね。
で、調べてみたんだけどさ、
「ヨーロッパでは怠惰の象徴とし、罪人になぞらえた。だが一方、露を吸うだけで繁殖していると信じられ、中世の教会では処女懐胎の真実性を示す生物だともされた。」(世界宗教用語大事典 weblio 辞書) だってさ。
やっぱりそうじゃん。
じゃあ、キリスト教圏の人なら、カタツムリ、っていう単語が出てきた時点で、主人公が処女懐胎で生まれたっつーても驚かんのな。
むしろ、ヨーロッパで賞を取ろうとして、日本人にドン引きされている本だな。これ。
しっかし、小説ではこういうカスを連続で掴み続けているんで、こりゃ本読まねーわってなってる。アニメ見てる方が心にいいもん。
しかし、黙っているのも心に悪いので、ワイの掴んだカスをお送りしたい。
なにせ、読んだことを記憶から、悪い意味で消したい物ばっかり読んでるからね。
そういうのを選んでいる気はないんだけどね。