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猫柳草庵

猫柳の隠れ里にある、庵です。 よろずのことを語るブログです。 政治やら思想やら宗教の話もするから苦手な人はスルーしてね。

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違和感の手触り

まぁ、微妙に飽きたpixivなんですが、この飽きてきている理由が、ここ十年ちょっと、わたしがポップカルチャーの変容について考えてきたことと合致しているわけですよ。

 簡単にいうと、昔のイラストレーターの絵って、下手でもなんでも個性があって、一目見て”あの人の絵だ!”ってわかったし、その模倣も”あの人の真似をしているな”って解ったわけですよ。
 で、萌系がある程度浸透していくと、あの人の絵っていうのではなく、一絡げに”萌え系”の箱に入っていった。
 コミュニティーツールとしては便利かもしれないが、それを作品として受け入れることができなかったわけです。
 何時間かかろうが、なんだろうが、一目でこの人の絵だとわからない絵って、表現っていうのか? という無駄な葛藤ですな。

 しかし、これに失望しているのは、資本主義のもとでは、わたしが悪いんですがね。

 まぁ、ソシャゲがイラストレーターの食い扶持のもっとも巨大なものになっている昨今、誰もが見て うまくて こぎれいで 見栄えする絵が求められている、ただそれだけなんですな。つまり、商品価値が高い絵の定義が変わっただけです。


 九十年台やゼロ年代始め頃は、本屋やゲームショップで消費される場合が多かった。その場合は、パッケージを長く手にとってもらえるように、アクが強かったり、オリジナリティがあるように見える絵が商品価値があったというだけでね。漫画も同様だね。好きなジャンルのものを見る、ではなく、昔の漫画は雑誌が主流で、その中で、目立つように、一つ一つの作品に個性が見えるようにっていうのが大事だったわけでね。

 この変化が成熟というなら、そうなのかもしれん。
 
 ー〜多分ここら辺に、九十年台に活躍したイラストレーターが、なんかあまり食べれてなさそう(失礼)な理由があると思う。

 昨今、芸術作品と言われているものでさえ、商品価値とは無関係ではないですからね。

 まぁ、はなっからわたしの求めているものがこの世にないだけなんですわ。pixivさんは悪くない。

 だもんで、これからもずっと、個性のない絵のどっかで見覚えのある設定の漫画やアニメを見せられ続けるだろう。ゲームもゲームでなんか見覚えのあるFPSって感じのものばっかりになるじゃろうて。

 しかし、同時に、これはアニメ漫画産業の経済のパイがでっかくなっているから起きていることかもしれん。同人誌買うんだって共同体に属した物々交換に頼らなくてもいいわけだ。ネットで売れるし。アニメの情報だってネット検索でいい時代だしね。

 漢文漢詩の方がよほど情報ねーよ。
 



 それとは別に、最近、つか、ずっと絵柄に悩んでいる。
 これとは別に、絵はかけた方がいいという第六感があるでな

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