通信制大学の法学部ってところは、会社経営してウン十年、公務員やって定年退職したおじいさんおばあさん、何を経営しているかわからないけど金持ってる若造、六本木ナンバーワンキャバクラ嬢、高卒で仕事がバリバリできるから会社に言われてきてる会社員、中小企業の御曹司、実家が伝統工芸的な仕事をしている人、中華街の大物の孫。などなどの人と席を同じくして学問するわけです。
これがね、はっきりいうと、すっごいスリリングなんですよ。
「先生はそう仰りますが、実務ではそうではありません」が飛び交う世界だから。
「先生はそう仰りますが、実務ではそうではありません」っていう言葉ほど、法律学にとって痛いことはないわけです。
逆に、学部にそんなこと言う生徒はいないわけで……。
で、その当時、祖母の介護をしていたので、私にも 「先生はそう仰りますが、実務ではそうではありません」があったんです。
一般教養の経済だったんですがね、その先生 入院したら医療保険、それ以外のサービスは介護保険で、入院するたびに保険を切り替えなきゃいけないことを知らなかったんですよね、先生が……。完全な、縦割り行政の悪しき影響っていうのは、こういうところに出てくるコレなんですよね。
あと、政治学に至っては、学識より、国連でいかに政治的に立ち回ったかという人がきたりね。
そこで学んだのは、いろんな社会の尺度って全然っ当てにならないってことですね。
最終的に気がついたのは、中国語できて和服の着付けできたら、少なくとも餓死はしないだろうということです。私、男性のはかま姿、花嫁衣装から七五三、振袖、やったことあるんで、まぁ、生きていけるだろう。
で、大学なんてところ、本来は三十ぐらいで「なんかアレとこれを知らんとまずいなぁ」でいけばいいところなんですよ。文系の学問なんて特に。
そういうゆるい社会にした方がブラック企業もなくなるんじゃないですかね。
そもそも、18歳なんて社会の事なんてなにも知らないんだから、夢だのなんだの語らせるほうが残酷。
てか、旧制高校制度がないんだから、そうならないのが不思議。大学はもはやエリート育成機関ではないし、日本はそういうエリート教育を辞めた国のはずだ。だから、本来は「インテリエリート」なんていちゃおかしいんだよ。
第一、私の発想おかしくなんてないんですよ。
アメリカの大学なんて生涯のうちに何度もいくのが当たり前なんだから。
なんで現役で行かないといけないんだろう。
一部の頭のいいやつだけ行けばいいじゃん。
よっぽどやりたい学問がないかぎり、高校の延長線でしかないぞ。
20歳前後の若造に問題意識を持てっていう方が間違いだろう。
ついこの間まで普通の高校生だったんだぞ?
大学はなんで経営苦しいかって、そんなん、大衆化しないからじゃないですかね。
象牙の塔なんてキモイもの誰が登るというのか。ハンコだってなくなるご時世で。
第一、借金してまでやるべき学問なんてないし、そんなの子供を質に入れてるのと同じなんですよ。
あと、「学歴ロンダリング」って言葉もおかしくて、大学と大学院って必要とする人材が違うんですよね。大学院は研究機関なので、それ以前がどうであろうと「本校で研究をするに足りる知識とやる気がある」ならいいんですよね。大学ですら出てなくてもいい場合がある。知識がなくても、研究したい課題がその大学にとって興味深いものなら入れるかもしれない。
東大に入れない頭でも、東大大学院に入れる頭っていうのがあるわけでね。