世界の主要な港、とくにアジアでというと、70年代は神戸港かアジア最大の港であった。
西日本の凋落は神戸港の凋落とともにある。
で、九十年代にコンテナ革命が進行していたのと、阪神淡路大震災が重なってしまったのが西日本という地域なのである。神は残酷である。
そして、これまた悲劇的なのが、大阪港、神戸港で液状化。そのせいでしばらく荷物が出し入れできなくなってしまった。地震のリスクが顕在化したのもまた日本にとっては大きかった。
また、高速の料金所が、コンテナの規格によって通れなかったり、と、、、。
神戸とは逆に、コンテナ革命に乗りに乗ったのが、上海港である。
上海に地の利があったわけではない。じつは、もとの上海港は水深があさく、巨大コンテナ船は通れなかった。九十年代に、これからの主流コンテナ船の規格が巨大化するとにらみ、大規模な埋め立て工事をして現在世界一の港になったのだ。
神戸をふりきったアジアの港といえば、釜山港もそうである。ここも増える取引量に対応するために新釜山港を作っている。
ヨーロッパの港湾も同じで、ぼんやり世界と闘えている港湾はない。
そして、どこの国も港湾改革が無傷で行えたわけではない。
ヨーロッパ諸国の港湾も改革と改造の連続で世界とはりあっている。
まず、コンテナ輸送になると必要な労働力が減る。そうなると労働組合と話し合える政治家がいなければ、話は進まない。当然、埋め立てるとなると、自然環境に影響もする。市民と話し合える政治家でなければ話は進まない。
そもそも政治家の仕事ってなんだ。
時代に合わせて変化して行くということは、こういうことであって、法律変えりゃあ現実が変わるというのは、呪術の一種ではないか?
そんなのは、広告代理店の手法だ。