私のTwitter歴を晒すと
Twitterできたとき 七草だったか、そう言う名前でやってたーフォロワー百人前後
なんか嫌になって3年ぐらいで辞める
2013年から少し後 再開
中国語の単語botみたいなのをチマチマ見ていたらいいかなーと思った
半年で怖くなって辞める
この再会までの数年の間が味噌。
ツイッターの空気が1期と二期で全然違った。
っていうか、一期の末期ぐらいからなんか違った。
一期のころは、俳句とか短歌とか投稿したりしてたし、文学作品などについても語り合えた。
そう”語り合えた”のである。
その頃は、ロシアにルーツのある人と、現代前衛ロシア文学などについて教えてもらったりしていた。
しかし、これが、末期の頃になると 「世間もしくは誰かに喧嘩を売る」ー「バズる」みたいになっていった。
そして、二期 語りあうとかではない空間である。
万人の万人による闘争、まさしくそう言う場所にTwitterはなっていた。
今のツイッターは リプすりゃ「クソリプ」と言われ、ファボは押すけど、リプはできない、そう言う空気だ。
きっとブログに回帰しようとした人から善良だ
中身のないやりとりか、中身のあるやりとりをすると殺し合いになるか、こんな空間はSNSとは言えない
たぶん、ツイッターに向いている奴は、勝手に相手の返答をクソリプ判定して、お前クソリプ野郎だからブロック〜、みたいな、人と人とも思わないやつだろう
たぶん、善良な人はみなTwitterから去っていったのだ
そしてどこにいったんだろう
きっとオタクはpixivに行ったんだろう
そもそも、寂しいからSNSなんてやるのである
それなのに、人とかかわろうとすると傷つくどころか、魂の殺し合いに発展する
認証欲求なんていうけど
人には、認証して欲しいって言う欲求があるし
人には、認証したいという欲求もあるのだ
人は狼に近い哺乳類だからしょうがない
集団性があるのだ
人は、人と関わると楽しいし嬉しいものなのだ
それ故に
拒絶されると傷つくし
それ故に
拒絶するのは辛いのだ
それなのに
拒絶しないと続けられないのは辛い